イラク日本人拘束事件について
Seizure of three Japanese in Iraque
 今回はちょっと難しい事件について書いてみます。それはここ数週間、ニュースの中心にあったイラクにおける3人の日本人拘束事件についてです。
 はじめに、この問題に関してわたしの知識がとても限られていることを白状しておきましょう。新聞も読まないわたしですから、十分な情報はありません。そのため、ここに書きたいことは事件の詳細や顛末ではありません。わたしの書きたいことはこの事件によって日本中に起こった論争について、わたしが個人的に感じたことです。
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 最初にイラク拘束事件に至るまで、感じてきたことから。
 まず、『9.11』のテロ事件以来、わたしは「アメリカは行きすぎている」と感じてきました。世界唯一かつ最大のリーダーとなる国が、これほど暴走する姿を見ると、わたしには『なにか裏がある』と思えてなりません。このあたりの疑問を、『同時多発テロ事件に思うこと』『ソルトレイク・オリンピック』という記事に書いてきました。
「アメリカは行きすぎていて、どこかに不自然な影を感じる」という気持ちが、今も続いています。もっと正確にいうなら、ブッシュ政権が行きすぎていて何か裏を感じざるをえないのです。
 ブッシュ政権と同じように、今のイスラエルも常軌を逸していると感じざるをえません。こうした残酷な暴力の報復は深い怨念を産み、それは人の心の深いところに刻まれます。それこそ、怨念は数百年も生き続けるに違いありません。
 もし、あなたの祖父や父が、そして兄弟が異教徒に殺されたとしたなら。
 そう想像すると、歴史を超えて続く怨念の連鎖を、理解できるように思えます。

 同時多発テロ以後のブッシュ政権には、「ケネディ暗殺」の裏側に感じるのと同じような謎と不安を覚えます。エンロン問題やイラクパイプライン問題のように、彼には説明すべきことが多くあります。…しかし、それらを避け続けるのはなぜでしょうか。
 「9.11はブッシュの自作自演」という意見が、アメリカにはあるようです。それすら信じられる自分がいます。
 そんな中でイラクへの自衛隊派遣が決まりました。
 自衛隊を派遣する根拠として、イラクには安全な所、つまり非戦闘地域があるという前提を語っていたのは官房長官だったでしょうか。それが、今日どんなものであるか。テレビニュースに耳を傾けるだけで分かります。
 つまり、自衛隊派遣の基盤となっている考え方自体、すでに通用していないのです。
 ところが、こうした事実にもかかわらず、多くの意見は3人の若者に対してたいへん厳しいものです。そして、彼らを糾弾するのに何度も『自己責任』という言葉が使われました。
 わたしは多少危険なスポーツをやっているので、よく自己責任という言葉を使ったり聞いたりします。そして、わたしが理解しているような自己責任なら、きっと彼ら3人は喜んで引き受けるのではないだろうか、と思えてなりません。もちろん、彼らの口から何も聞いていませんので、正確なことはわかりませんが…。

 福田官房長官は「小泉内閣の責任を問う声について」に対し、こう答えています。
「何の責任でしょうか? 自衛隊を派遣していなかったならばテロは起こらないのでしょうか? テロはどこにいても起こる可能性がありますよ」
 政府の一番基本的な使命は国民の生命財産を守ること。
 3人が勝手にいったと断定するなら、日本政府も同じように正確でない判断で突っ走り、その結果国民を危険にさらしたともいえます。
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 ここでわたしの現在の政治的立場を明確にしておきましょう。
 わたしは日本は核武装すべきと考えています。そして徐々にアメリカの支配下から自立すべきと考えています。『日本における歴史の喪失』にも書きましたが、日本はまだまだ「ほんとうの独立国ではない」と感じています。そして、独立すべきと考えています。早く、「ブッシュさん、あなたはやりすぎです」といえる日本になったらいい、と願っています。ですから、今回の自衛隊派遣については複雑な思いがあります。単純に自衛隊派遣に反対している訳ではありません。しかし、現在の自衛隊がやっていることは、それこそボランティア団体や民間レベルでやった方がいいのではないか、と思うところも多いのです。
 今回捕らえられた3名の方たちのような活動こそ、イラクのためになっているのではないでしょうか。イラクの方たちの多くが、日本人に「かつての日本人像」を見ているように思えてなりません。そして、そんな心を持った日本人は自衛隊や政府・官僚より、個人で活動している方たちに多いのではないでしょうか。
 高遠菜穂子さんはボランティアとしてイラクに渡り、バグダッドなどで路上生活する子供たちを支援し続けたといいます。
 劣化ウラン弾の危険性を訴える活動を続けてきた若者や庶民の姿を映し出す写真家。彼らの活動こそ、イラクの復興には役立つものではないでしょうか。彼らはそれぞれの立場から、イラクの平和を願って訪問したと、わたしには思えてならないのです。

 拘束当初、家族のみなさんの態度は感情的で、かつ高圧的に見えました。そんな姿がたくさんの敵を作ってしまったように思います。しかし、血のつながった家族なら、理解できる行動ではないでしょうか。同じ状態に置かれたなら、多くの人が取り乱すでしょうし、彼ら以上に理性を失いかねないと想像できます。
 家族の感情的発言より、彼らの安全が確保された後、彼らに投げつけられるたくさんの中傷や誹謗。それらを聞き、読むたびに胸が痛みます。いったい、彼らの行動や言動の何が、これほど感情的な中傷を生んでしまったのでしょう。
 3人が保護され、ドバイのアメリカンホスピタルに収容されて以来、彼ら自身の発言や家族の発言に大きな変化が起こりました。あれだけ明確な発言をしていた人たちが、一転して謝罪と感謝しか語らなくなりました。そして3人は押し黙ったまま。いったい、「ドバイで何があったのだろう」と勘ぐらざるをえません。
 まるで彼らは洗脳されてしまったかのようです。
 参院決算委員会で自民党の柏村武昭議員など、彼らをして「反政府、反日分子」と呼びました。
 彼らが反日分子ならわたしも反日分子でしょうか。そうなると、自衛隊派遣に反対する多くの方々も反日分子となるのでしょうか。
 わたしは憲法改定論者で日本核武装論者、そして徴兵制復活論者です。そんなわたしが「反政府、反日分子」なら、日本は論理のダブルスタンダートによってすでに内部崩壊しているといえます。
 今回の事件は「日本がどこに向かうべきか」を大きく問うているできごとではないでしょうか。
 今のままアメリカの属国でいるべきか、それとも自立すべきかを、わたしたちは問われているのです。
 全国民が、その選択を迫られています。
 感情的な論争ではなく、もっと未来を見据え、選択をすべきではないでしょうか。そして、意図的に忘れ続けている過去を、しっかりと見つめ直すべきではないでしょうか。
 わたしはわたしの意見が正しいなど、少しも思ってはいません。たくさんの意見がでて当然です。わたしたちには繰り返し討論されるべき歴史があり、そして未来があるはずなのです。
 イラクの日本人拘束事件を聞いて、こんなことを考えました。
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 この文章に対して、親しい友人が感想を送ってくれました。彼の視点はわたしと大きく異なっていますが、素晴らしい内容を含んでいます。ぜひ、お読みいただけますと幸です。
E-mail 友人からのメールへ

 やはり、イラク問題は大きいのでしょう。今度は異なった友人がメールを送ってくれました。彼女はじっさい、拘束された方々やそのご家族の方々にインタビューをおこなっています。そのため、わたしに新しい視点を与えてくれました。日本テレビ『ザ・ワイド』でおなじみの杉本純子さんが、その人です。
Grey 杉本さんからのメールへ

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