友人からのメール
An e-mail from an old Friend
Harrier
「イラク日本人拘束事件について」を読みました。
 「憲法問題」と「自己責任」について、私も特に最近色々と考えていました。そして、私も日本は独立国でないように感じています。アメリカから脱却すべきとも考えています。日本国憲法は「アメリカの押し付け」ということを否定しきれないと思っています。しかし憲法第9条はアメリカにない良い精神を持っているとも思っています。

 私はかねてから矛盾を抱えた憲法第9条には、非常に有効な使い道があると考えていました。それは他国に、特に侵略性の強い国やこの憲法の作成時に深く関わった国に憲法第9条の精神をアピールすることです。
『日本の憲法には、かくかくしかじかという第9条がある。これは現行と矛盾していると言う批判があり、国内では色々意見があるところであるが、この憲法が出来てから他国の侵略を行っていないことは誰もが認めるところである。貴国もこの精神にのっとり、他国民が望まない軍隊派遣は行なわないよう忠告する』

 今回アメリカ追随型の自衛隊派遣問題が起こったとき、これはアメリカに憲法第9条の精神をアピールする良い機会であるように思え、憲法第9条賛成論者・反対論者のどちらからもこのような意見がでるのではないかと思っていました。
 しかし、私の見込みははずれ、実際にそのようなことを発言された方はいなかったように思います。

 非核三原則も国内で議論をするよりも、むしろ国外にアピールすべき原則だと思っています。
 かつてインドが核実験をしたとき、インドには「自国の安全は自国で守る」との意識があったのだろうと推察します。このときロシア、フランス、イギリスは弱い批判、アメリカ、中国、日本は強い批判をしています。

 私は戦争被爆国日本は核兵器に対して批判的であり続けて欲しいと願っていますが、他国の大量破壊兵器に関して厳しい侵略性の強い国にこそ批判的であって欲しいと思っています。
 現在の日本は何をいっても子供が大人にものを言っているようで、説得力がないように感じます。しかし、裸の王様と告げるのは子供。正しいと思うことを発信する努力を惜しんではならないでしょう。そして子供は、自分のことは自分でする大人になる努力も惜しんではならないでしょう。こちらは本当に難しい問題だと思います。

Line

 イラク日本人拘束事件で「自己責任」という言葉が使われるたび、クラブのメールで発言した自分の「自己責任」という言葉が自分の意図するとおりに受け取られているのか気になりました。

 「多少危険なスポーツ」であるフリースタイルスキー。
 もっと一般的なスキーやスポーツでも危険はあるでしょう。
 嫌がっているのに騙されて急斜面に連れて行かれて背中を突き飛ばされたならば他人を恨みもしましょう。しかし十分注意を払った上で自分の考えで行動してその結果不幸にも怪我をしたとして誰を責めようと思うでしょう。

 ラグビーに指導熱心な先生がたった一つの事故で生き様を変えてしまったと言う話を聞いたことがあります。
 事故自体は不運なものだったそうで、怪我をした高校生の親も当初全く学校側を責めることはなかったそうです。しかし、示談屋の入れ知恵があったらしく、手の平を返すように学校の責任を追求をしはじめたそうです。
 裁判結果については知りませんが、親の態度の豹変振りに熱心だった先生は教育に関する熱意を失ってしまったそうです。
 柔道でも似たような話があり、これは以前のメールに書いたと思います。

 フリースタイルスキーには、大怪我が頻発してスキー場から締め出されるような悲しい過去があったと聞きます。
 クラブにはそのような不幸な経験をして欲しくないと思ってメールしましたが、真意が伝わったかどうかは不安でした。
「できる限りのヘルプはします」という素晴らしい精神の部分に水を差してはいないか、「イラク日本人拘束事件」で使われているようなニュアンスで受け取られていないか、不安でした。

 「今後も活動を続けたい」と解放直後に発言された3人と、「今後も現地に残って活動して欲しい」と発言されたイラクの方に、ぴったりの言葉が見つからないのですが、私は「何か良いもの」を感じました。
 この点では「非常識」ととる多くの方と意見が異なるようです。

 3人に非難が高まると、いっそ直ちに活動を続けて欲しいとさえ思いました。
 ただ、実際には活動を続けるには冷静に現状を見据え、植物が開花にそなえて冬を耐え忍ぶような期間が、あるいは必要なのかもしれませんが…。

 「今後も活動を続けたい」と解放直後に語ったことに対して否定的な人でも次のようなときは共感することもあるように思っています。
 不幸な怪我をしたスポーツ選手や不運で失意にある者が今後も活動を続けていくと決意表明をしたとき。その人たちに今後も頑張って欲しいとの応援に接したとき。

世間では侵略的な行為に対する批判より、3人の活動や言動に対する批判が大きく扱われていることは残念なことなのではないでしょうか。

Home