Masahito's
Musical Essay

Clara
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Brahms
Brahms が嫌いだったわたし

 
正直な話、わたしは26才になるまでブラームスが嫌いでした。
 高校生のころ、学生運動にのめり込んでいた友人たちが、「めざすのはブラームスの音楽のような革命だ」と言うのを聞いて、「彼らは戦う前から負けることがわかっている革命をめざしている」などと感じていたほどです。

 
十代の後半、わたしはヘルマン・ヘッセの影響を強く受けていました。そのため、彼の描く 『過去という常識に縛られたブラームスの姿』 が、あたかも自分自身のブラームス像のように感じていたのかもしれません。
 しかし、26才の経験が、そんなわたしのブラームス像を一転させました。

 
スキー人生の絶頂と感じていた時、わたしは突然、奈落の底へ突き落とされました。今まで明るく見えた未来が突然、真っ暗な闇に変わりました。致命的とも言えるヒザの怪我によって、もはやスキーができないかもしれない状態へと追い込まれたからです。
 この時の怪我は靱帯と半月板の損傷でした。しかし、致命的だったのは急性化膿性関節炎という奇病を併発したことです。そのため、40度を超える熱が十日間以上も続き、悪夢にうなされる日々をすごしました。

 
熱が下がり、傷つき荒れ狂っていた心が落ち着くと、今度はそこに虚脱感、虚無感が待っていました。それは熱の苦しみよりもひどいものでした。
 そんなとき、ラジオから流れる音楽に心を掴まれたのです。

 情熱的でありながら苦しみに満ちた第1楽章が終わり、祈りのような第2楽章がはじまったとたん、涙が流れました。それは音楽が終わっても、いつまでも止まることがありませんでした。

 
その曲がブラームスのピアノ協奏曲第1番と知ったのは、まもなくのことです。
 ブラームスとの劇的な再会でした。
 
それ以後、4曲の交響曲と2曲のピアノ・コンチェルト、ヴァイオリン・コンチェルト、そしてダブル・コンチェルト、ドイツ・レクイエムや室内楽の数々を聴き続けています。五十才を越えてからは、ピアノ曲のすべてに惹きつけられるようにもなりました。
 わたしの好きなブラームス演奏家として指揮者ではカラヤンやバーンスタイン、そしてザンデルリンクがいます。ピアニストとしてはオーピッツとケンプ、ルプーでしょうか。近頃はゲルバーのピアノソナタもよく聴いています。


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