My Favorite Ski Essays
Masahito's Essay

冒険のはじまり
Spin
 一九七七年の春。
 青山通りに明るい色彩のいきかう、四月の第一週。わたしは新年度になって、はじめて大学に足をむけた。下北沢から井の頭線に乗り、渋谷からは徒歩である。
 正門をぬけると、えりのパリッとした紺のブレザーがキャンパスに目立つ。銀杏並木のあわい緑に青い空。
 学内を一周し、花壇の回りにあるいつものベンチに腰をおろした。
「ほんとうに、どうしたらいいのだろう?」
 わたしの心は、うららかな天気とは対照的だった。

 二十歳を過ぎてもなお、わたしには自分の将来が見えなかった。進むべき道がわからなかった。自分が小さく無力な存在に感じられてしかたがなかった。漠然とした夢はもっていたが、そこに辿り着く方法はわからなかった。
 小さいころのわたしは水の中に夢を見ていた。十歳で泳ぎはじめ、十四歳でオリンピックを夢見た。十六歳で体を壊し、その夢を捨てた。体が治ってから、もう一度泳いでみたものの、それは自分なりに水泳に告げた 『さようなら』 だった。
 高校を卒業したら世界一周の旅にでようと思っていた。そうすれば、もっと大切な何かに出会えるような気がしていた。スイミングスクールでアルバイトして金をため、世界中を冒険して回る。そうすれば、何かに巡り会えそうな気がしていた。
 ところが、現実の自分は大学生。すでに、三年にもなっていた。
「いったい、どうすれば良いのだろう?」
 歩くべき道も、歩くべき方法もわからなかった。それどころか、ほんとうは歩きたいのかどうかさえ、わからなかった。

 花壇の柔らかな緑を見つめていると、昔のさまざまな出来事が思い出された。それはまるで、川の流れに生まれては消え、生まれては消える泡のようだった。そんな中、ひとつだけ生き生きと浮かび上がった思い出がある。
 高校一年の春のこと、入学して早々、クラスで未来の夢を話し合った思い出だった。
 担任の大きく親しげな声が、こう切り出した。
「みんなが何になりたいのかを聞かせてもらいたい。何でもいいんだ。夢が大きければ、そのままを聞かせてもらいたい。なにも恥ずかしがることはない」
 将来何になりたいか、発表してゆくのだ。出席番号の早い生徒から、ひとり数分の持ち時間だった。
 どういうわけか医者が人気だった。そして、弁護士、外資系の輸入会社も人気があった。中には総理大臣という強者もいた。
 いよいよわたしの番だ。わたしは勢いよく立ち上がった。
「ぼくはピアニストになって世界一のベートーベン弾きになりたい。でも、ほんとうはアルセーヌ・ルパンになりたいんだ!」
 クラスにどっと笑い声がおこった。
 しかし、わたしは本気だった。小さい頃から憧れていたのだ。アルセーヌ・ルパンはわたしのヒーローだった。それも漫画ルパン三世のようなコミックなヒーローではなく、正真正銘の英雄だった。加えて、わたしには金や宝石を盗むつもりはなかった。盗みたいものはいちばん難しいものだった。
「…ぼくは人の心を盗みたい。人の心をとりこにしたい。それが、ぼくの夢だ!」
 しかし、そんな夢は遥か彼方…。自分にあるのはみじめさと無力感、そして不安だけだった。

 考えにつまり、立ち上がった。そして掲示板へと足を向けた。
 まだかなりの距離があるうちから、一枚の大きなポスターが目についた。スキーのポスターだった。それは白と黒のしま模様のワンピースを着た選手が、宙返りをしている写真だった。胸にはゼッケンがつけられ、どこか外国の競技会らしい華やかな雰囲気を放っている。
 なぜか引きつけられた。空の青さと輝く雪の白さ。宙を舞うスキーヤー。ダイナミックな動きと危険な冒険の香りが、磁力のようにわたしを引き付けた。新入部員募集と書いてある。
 近寄って、じっくりと眺めてみた。そして、書かれている文章を読んでみた。すると信じられない事実が、わたしに襲いかかったのである。なんども読み返してみた。しかし、そこには間違いなく、こう書かれていたのだ。
 部長・角皆優人。
 いくら見続けても、その名は変わらなかった。わたしの名前である。珍しい名字に珍しい名前だ。同姓同名の人物など、いるはずはなかった。妙に現実感のない時間が流れ、希薄な空気がわたしを取り囲んでいた。
 記憶の糸をたぐり、ようやく手がかりを得るまでに、いったい、どれほどの時間が過ぎたことだろう。

 確か二ヵ月ほど前のことだった。体育の実習で、スキーツアーに参加したときのことである。
 二月の肌寒い夜、スキーバスが青山校舎から出発する予定だった。
 学校に着くと、正門の電気は消え、キャンパスに人影もなかった。予定時刻ぎりぎりだったため、わたしは足ばやに銀杏並木をぬけた。並木に平行する校舎の角を左に曲がったとたん、にぎやかな笑い声が耳に飛び込んできた。
「まだ来てない奴がいるんだってよ!」
「置いてっちゃおうぜ!」
 バスの窓から覗くたくさんの顔、顔。どうやら、わたしがほんとうに最後のようだった。引率の助手に名前を伝え、バスの階段をかけのぼった。
「もう席はあいてないぞ」
「補助席か、うしろのスキーの上だな」
 後部座席に置かれたスキーを片づけ、そこにあった毛布を敷いて腰をおろした。
 思ったよりはずっと居心地がいい。
 知った顔は見えなかった。ほとんど授業にも出ず、友達らしい友達もいなかったのだから、当然といえば当然だった。この実習に参加したのも、体育実技の出席日数が足りなかったからである。

 バスは青山通りから表参道へと左折。夜の原宿を横切ってゆく。わたしはしばらく表参道をゆく女性たちに引き付けられていた。
 環七に出る頃になり、気持ちを変え、一冊の本をひっぱり出した。
 この頃のわたしはいつも、その本を持ち歩いていた。そして、よくその言葉に耳を澄ませていた。なぜならそこに、わたしの捜している答えが見つかるような気がしたからである。
『空気は我らの周りに重い。旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。偉大さのない物質主義が人々の考えにのしかかり、諸政府と諸個人との行為を束縛する。世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息して死にかかっている。世界の息がつまる。…もう一度窓を明けよう。広い大気を流れこませよう。英雄たちの息吹きを吸おうではないか』。
UrbanCity
 物質的な豊かさが、あたかも人間の幸福だと考えられるような時代に、わたしの心は強く反発していた。そして『偉大さのない物質主義』という言葉が、強くわたしの胸を打った。この文章にある 『西欧』 という文字を 『日本』 という文字に書き直したなら、わたしの心情そのものであるかのように感じられた。
 しかし、自分の未来はというと霧に包まれ、何も見ることができなかった。わたしには自信がなかった。力も、能力も、まるで感じられなかった。
『雨しげき四月の灰色の日々に、霧に包まれたラインの川岸で、ただベートーヴェンとだけ、心のなかで語り合い、彼に自分の思いを告白し、彼の悲しみと彼の雄々しさと、彼の悩みと彼の歓喜とによってまったく心を浸され、ひざまずいている心は、彼の強い手によって再び立ちあがらされた』
 当時、わたしは毎日のようにベートーヴェンのピアノソナタに聞き入っていた。生きることの勇気を、そこから得ているかのように感じていた。そのため、このロマン・ローランの言葉は、わたし自身の言葉であるかのように響いたのである。

 どのくらいたったのだろう。気がつくと横に男がひとりすわっていた。
「ほう、ロマン・ローランですか?」
 いつの間にすわったのだろう。男はわたしの本を見て、しきりにうなずいている。
「わたし、かなり老けて見えるでしょう。じつは大学、ふたつめなんです。体育大を出てから、いろいろやってみたんですが、どうもフランス文学に未練が残っちゃって…」
 本人いわく二十七歳だそうだ。が、どう見ても二十代には見えなかった。素直に信じた自分がこっけいなほど立派だった。
「ロマン・ローランの『ベートーヴェン』ですか。一種の聖書ですな」
 驚いたことに、この男は大変な人物であるらしかった。元トランポリンの全日本チャンピオンであり、文学者だという。そのうえスキーも達人の域にあるらしかった。加えてピアノもこなし、現在はショパンを弾いているというのだ。気がつくと、思わず夢中になっていた。
「君も、ぜひ上級班に入って、いっしょに滑りましょう!」
 こう言う彼に、わたしは答えた。
「…でも、スキーはほとんどできないからダメですよ」
「いやいや、水泳の元チャンピオンだったら大丈夫。体力があるから、転んでもついてこられる!」
 大学に入って初めて、同級生と真剣に会話している自分がいた。そして、バスはあっという間に猿ケ京温泉のホテルに到着した。
 残念ながらこの興味深い学生と、わたしは同じ部屋ではなかった。

 翌朝、わたしたちは三台のマイクロバスに分乗し、苗場スキー場へとむかった。
駐車場に到着すると、引率の助手がマイクを取った。
「班分けを行いますので、これから発表する先生のところへ集まってください。まずは上級班。長谷川教授です。いちばん右側にいってください」
 わたしは上級班へと足を向けた。参加するためではなく、あの興味深い人物にあいさつをしたかったからである。とりあえず声でもかけてから、初級班へいこうと思っていた。
 近づくと、人の集まりはじめた上級班の中心に、彼は立っていた。その手にはゼッケンのたばが握られている。どうもようすがおかしい。
「ほら、いま班長がくるぞ。きのう、決めておいたんだ」
「やられた!」と気づいたときには遅かった。
「おまえはよっぽど学校に来ていないんだな。オレの顔もわからないんだから。でも、きのうは楽しかったぞ。ほれ、ゼッケン一番。おまえが班長だ!」
 白い白い雪。青い青い空。それはまさに、夢と憧れの世界への出発だった。今まで水泳選手として二十五メートル四方のコンクリートに閉じ込められていた自分にとって、無限の山並みと刻々と色を変える光と影、木々と霧氷、風と大気、スピードとスリルは、想像をはるかに超えた世界だった。
 わたしは一日に百回以上転んだにもかかわらず、高揚し、喜びに満たされた。
Crush
 こうした輝く世界に、翼を広げるふたりのスキーヤーがいた。彼らは単にスキーがうまいだけでなく、魔法のような技術をもっていた。あの長いスキーで、フィギアスケートのように舞い、コブだらけの急斜面を阿修羅のように疾走したのである。
 美しく広大な世界を、自在に駆け回る彼ら。そんな姿を見ていると、純粋にうらやましかった。そして、すでに失ってしまったように信じていたスポーツへの想いが、熱く胸にこみあげてくるのを感じられたのである。
「おまえら、フリースタイルスキーって知っているか?」
 東京に帰るバスのなかで長谷川教授が、上級班の生徒を相手に話していた。それを、わたしは彼らの後ろの座席に座り、静かに聞いていた。
「スキーには近いうち、フリースタイルの時代が来ると思う。それも、そんなに遠いことじゃないだろう。どうだ、クラブを作ってみないか?」

 新緑のキャンパス。
 そよ風になかで、こんな記憶がもどってきた。そしてふたたび、あのぞくぞくした感じがよみがえってきた。
 長谷川先生に会うため、わたしは体育館に向かった。そして、小走りに駆けながら、久しぶりに、深々とした春を感じていた。何かが、どこかではじまったのだ。
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