一期一会のオリンピック
Once in a life time experience, Olympics
長野オリンピック直前に書いたエッセイを手直ししたものです
スピードスケートの話題を中心に、オリンピックを描いています
Ogawa
オリンピックに住む魔物たち

「もちろん、スラップスケートに変えたなら誰よりも早く順応する自信はあります。しかし、変えるつもりはありません」
 スピードスケート世界最速のスプリンター、清水宏保は長野オリンピックを目前にして、こう答えた。しかし、有力選手たちがスラップスケートに変え、次々と記録を更新していくのを目の当たりにし、ついに変更を決意。
 スラップスケートはオランダ選手を中心に開発された新しいスケートブーツである。それはエッジをトウ部分のみで固定し、カカト部分を浮かせることにより、より長く氷をとらえることを可能にした。つまり、より推進力を得られるブーツである。こうしたマテリアルや技術革新はオリンピックという舞台の裏側で、選手たちの競争と同じほど厳しく争われている。
 スケートブーツにくらべたならずっと単純に見えるスケート用ウエアですら、かつて熾烈な開発競争を経験している。

 一九七五年オスロでおこなわれた世界選手権にノルウェーチームは特殊なレーシングウエアで登場。各国選手団の話題をさらった。それはスピードスケートにおいて鍵を握る風への画期的対策が施されたものだった。頭からブーツまでをぴったりと包むウエアが空気抵抗を最小限にくい止め、記録更新につながった。スキン社(スイス)とオズロー社(ノルウェー)の共同開発によって生み出されたウエアは、科学的進歩が記録更新の重要な要素となることを証明した。そして、レークプラシッド・オリンピック以後、各国は競って科学的マテリアル研究に参入。風洞実験によるレーシングウエアの空気抵抗測定やシューズカバーの形状研究などがさかんにおこなわれるようになった。
 こうした風への究極的対策として、ついに屋内リンクが生まれることになる。オリンピックに初登場するのは一九八八年のカルガリーである。そこは新記録の生まれる高速リンクとして世界に知られている。しかし、次のような怪現象が現れることはあまり知られていない。
 第一組の選手たちが完全な無風状態でレースを開始し、猛スピードでリンクを疾走する。第二組、第三組とレースが続くにつれ、室内の空気が選手に引かれ、回転を始めるのだ。つまり、後発の選手ほど強い追い風を受け、有利になる。そのため、同じ条件下でレースをおこなうという原則が、屋内リンクであるがゆえに破られてしまう。同じ条件を作り出そうと努力した結果、予期しない不平等を生んでしまったのである。
 こうしたわずかな風にも左右されるからこそ、選手たちはオリンピックに異常な緊張を覚えることになる。スピードスケートの世界最高を決定する世界選手権には「オールラウンド選手権」と「スプリント選手権」があるが、どちらも四種目を競った合計ポイントで決定される。また、スキーにおいて頂点とされるワールドカップ・グランプリタイトルは、年間十戦近い競技会の合計ポイントで決定される。しかし、オリンピックは各種目一回限りの勝負なのだ。複数レースの合計なら実力が反映される。しかし、一回限りの勝負では何が起こるかわからない。
 そんな緊張感に加え、四年に一度というオリンピックのインターバルも重い意味を持つ。なぜなら、どんなスポーツも、選手生命は短いものだからである。自己のピークを四年に一度のオリンピックに合わせるには努力だけでは不十分だ。プラスアルファの要素が必要とされる。それだけに、選手たちの神経は研ぎ澄まされ、時に過敏になる。
 そんな出場選手を取り囲む人々、そしてマスコミの一挙手一投足が、選手の運を左右することすらある。
 黒岩彰の世界選手権優勝により一躍マスコミの寵児となったスピードスケートは、サラエボオリンピックにおいて煮え切らない成績に終わった。北沢選手が銀メダルを取ったものの、日本チームの願ったレース展開はできなかった。これによって日本スケート界は、マスコミの重さを知ると同時に、その軽薄さをも経験した。なぜなら、執拗なマスコミ陣の行動が、選手たちを不安定な状態に陥れたと、判断されるからである。

 “オリンピックには魔物が住んでいる”と言われる。
 オリンピックで日本人選手があげる成績に、わたしたちは決して無関係ではない。なぜなら、わたしたちの意見が、そしてマスコミの意見が、選手たちの内面に影響し、結果までも左右するからである。選手たちの感情はオリンピックという特殊な舞台で、国民全体の感情を映す鏡となる。それは一期一会の経験であり、人生の中で誰もが経験する節目にも通じるものだ。
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