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2005年シーズンは怪我のため、3月になりようやくスキーを滑ることができました。
そこに待っていたのはたくさんの感動です…。
正中神経断裂と五指の腱、動脈の断裂、加えて三度目となる右膝の手術から、3月になり、わたしはゲレンデに戻ってきました。
ターンごとに膝を襲う痛みと、スキーウエアすら満足に着られない手で、コブ斜面を滑りはじめました。
F-style School では三月になると、毎週のようにイベントが続きます。わたしは自らモーグル競技のデモ滑走を買って出ました。最初の二大会はノーストックで。次からストックを持って。
初めてストックを持ったのはシャトレーゼでおこなわれた 『モーグルヒート』 と呼ばれる競技会でした。
スタートに立つわたしの膝は震えていました。それは痛みからではなく、久々の緊張感からです。
もう「ストックを持っていない」という言い訳はきかず、フリースタイルの開拓者として滑り続けたプライドも、強く感じていました。
その翌日、『第三回ユナイテッドジャパンオープン』で、わたしは自分の得意技であるバックフリップ(後方宙返り)を、第二エア(二回目のジャンプ)でかけてみようと思いました。
…ジャンプ台も十分だし、コースも十分。できないはずがない…。
そう考えただけで、心拍数が一気に跳ね上がったのです。二百くらいまで上がったでしょうか。リフトで聞こえたのは、ただ自分の心臓の音だけでした。隣に座るゼッケンをつけた選手に話しかけられても、彼の声が聞こえませんでした。口だけがパクパクと動いていました。
「すみません、もう一度お願いします」
そう言って、初めて音が戻ってきました。
…できないはずがない…。
しかし、恐怖にすくむ自分がいました。
…リフトが故障で止まってくれないだろうか…。
そんなことすら考える自分がいました。
「ぜったいにできる。ぜったいにできる」
リフトからスタートまで、呪文のように繰り返して、スタートに向かいました。
「エフ-スタイル代表、角皆優人、Ready !」
「スリー、ツー、ワン、ゴー!」
冷えた朝の固い人工雪。しっかりとホールドするエッジ。吸収と伸展を繰り返す脚。
迫り来るコブを越えていくうちに、恐怖心は失せ、心は無になっていきました。
第二エアが近づき、進入すると、自然に体がバックフリップをおこなっていました。そして、ランディングした瞬間、耳に飛び込んできた割れんばかりの拍手と歓声。ゴールエリアで最後のターンを終えて止まると、たくさんのスキーヤーが駆け寄ってくれました。誰もが笑顔で、わたしの肩をたたき、手を握り、声をかけてくれました。中には自分のことのように、涙を見せてくれた友人もいました。
翌週、鷲ヶ岳に行くと、そこには季節外れの新雪に埋もれたコブ斜面がありました。競技会のコースを作るため、スクールの仲間たちと滑った久々の深雪。心が躍るとは、まさにそのことでした。
四月に入り、神立でおこなわれた『ドラフトワンカップ』。
雨の中で表彰式を終え、全員がずぶ濡れだったにもかかわらず、たくさんのスキーヤーがわたしを囲み、その場に残ってくれました。彼らの素晴らしい笑顔と握手が、わたしに新しい勇気と、一生続くほどのエネルギーを与えてくれたのです。 |
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