角皆優人のフリースタイル道第59回
1997年の原稿から
長い間続けたスキーイング連載、その最終回となった思い出深い原稿です。
(タイトル)
さようなら、そして‥…
White_Birch_Trees
 「思い切ってザイラーバレーに移ってスクールをおこなってきたけれど、みんなの努力も実って、今月は何とかやっていけそうな結果がでました。この調子でシーズンを乗り越えましょう」
 去る1997年2月28日、わたしはモーグルスクールの全体ミーティングをおこなっていた。
 昨シーズンまで活動していたスキー場を離れたには訳があった。そんな思いをかみ締めながら、ようやく光の見えはじめたザイラーバレーの現状を、インストラクターたちに話していた。暗い話題の多いスキー界の中で、わたしたちの回りにはうっすらとだが希望が光っていた。
 ミーティングが終わり、スクールインフォメーションから外を見ると、気高い山々が日光に照らされていた。
「角皆さん、電話です」
 受話器を手に取った。
「はい、角皆です」
「スキーイングの井口です」
 なぜか編集長の声は重かった。
「‥実は、本が無くなることになりました」
「えっ」
「…」
 二人とも言葉は、しばらく続かなかった。
「四月号で最後になってしまいました」
 その前日、わたしは新しい原稿依頼を受けたばかりなのに…。
「もう、書きはじめられましたか?」
「‥いいえ、まだ…」
 短い会話。
 しかし、そこから伝わったのは、確かにスキーイング廃刊の知らせだった。
 帰り支度をするため受付を片付けている時、電話のほんとうの意味は心に届かなかった。ところがスクールを閉め、センターハウスの階段を降りるころになると、突然、さまざまな想いがこみ上げてきた。
SnowScene
 最初の原稿依頼を受けたのは、一九八五年だったろうか。
 たしか、最初に書いた記事は日本初のFIS公認フリースタイルスキー国際競技会の物語だった。タイトルは、『人生、だからおもしろい』。生きているとさまざまな事件が起こる。しかし考えてみれば、だからこそおもしろい。そんな内容だった。
 井口さんからの電話で動揺していたわたしは、かつてそんな記事を書いたことを思い出した。しかし、今回の予想しなかった展開を、「人生だからおもしろい」とは思えなかった。そして、まるで皮肉の効いたジョークを聞かされたかのような気分になった。

 スキーイングにはさまざまな思い出がある。
 新設されたリステルのスキー場でおこなった撮影。
 例年、工藤カメラマンと訪れた春の天神平スキー場。
 入れ代わった編集長たち。
 たくさんのエッセイと技術解説や大会レポート。
 現在の連載はこの最終回で五十九回ということになる。つまり、5年も続いたのだ。そして、かつておこなっていた連載を考えると、スキーイングだけで百を越えるエッセイを書いてきたことになる。
 いつかわたしが老人になったとき、これらをひもとき、じっくりと読み返してみたい。

 書くという行為で、どれほど自分を知ることができただろう。表面的に通りすぎるだけかもしれない感情を探り、掘り下げ、それを言葉に変換する。そんな行為が、どれほど自分自身を教えてくれただろう。もしここ十二年間で、わずかでもわたし自身が成長できたとすれば、それはこのスキーイングの連載に負うところが大きい。そんなすばらしいチャンスを与えてくれた編集部の方々に、心から感謝したい。
 そして、長い間読んでいただいた皆様、どうかわたしの感謝の気持ちを受け取ってください。
「ありがとうございました」
Sunset
 センターハウスの三階から階段を降り、駐車場に出ると、八ヶ岳が燃えていた。
 空は夕日を浴び、文字通り赤く染まっていた。
 空気はひんやりとして冷たい。
「…スキーの仕事は続けたいのです。しかし、そうするためには会社を辞めなければならないでしょうね…」
 井口さんはそう言った。
 一冊の本はたくさんの人間の命を背負っている。そこに描かれるスキーヤーたちの人生だけでなく、本を作っているたくさんの人たちの人生も載せて走っている。
 わたしは自分の書く物語に、そんな人々の命を描き続けたつもりだった。
 できることなら、いつの日かスキーイングが復活してくれるといい。ぜいたくを言わせてもらえば、今のスタッフで復活させてくれたらいい。
 そして、こんな電話がかかってくるのを、わたしはいつまでも待っていたい。
「角皆さん。今度スキーイングが復活することになりました。また、連載をやりませんか。内容はおまかせです」
Home ホームへ戻る