角皆優人のフリースタイル道

 この文章はかつて「角皆優人のフリースタイル道」という名称で、
雑誌Skiingに連載されていたエッセイのひとつです。
ベースボールマガジン社から発行されたその雑誌はもうありません。
連載は休むことなく3年を越え、足かけ7年に渡り、さまざまなテーマで書かせていただきました。
Goryu
(メインタイトル)
カルチャーリズムを考える
(サブ・タイトル)
西洋から東洋へのエネルギーシフト

 村山節氏の『文明の研究』(光村推古書院)によれば、人類の文明は有史以来、東西の二極に分かれ、八百年周期で主権の交代をくり返してきたという。これをカルチャーリズム(文明時計)と呼ぶが、紀元前四千四百年から紀元二千年までの六千四百年間、正確に七回の交代を繰り返し、現在が八回目を終える移行期にあたるという。
 こんな大きな視野で物事を見るのは難しい。しかし、もっと小さな目で見たとしても、東洋と西洋に違いがあり、時々流れが交代することはわかるだろう。
 たとえばスポーツである。
 ずいぶん前になるが、オリンピックを見ていて、こんなことに気がついた。それは「現在のオリンピックスポーツのほとんどが、西洋型スポーツである」ということ。
 これはカルチャーリズムから考えると、過去八百年間が西洋の時代だったため、西欧で発達したスポーツがオリンピックに取り上げられた、と考えることができるかもしれない。もしくは「西洋スポーツのあり方が、近代オリンピックを産んだ」、ともいえるかもしれない。
AutumnLeaves
 わたしが考える西洋らしいスポーツにオリンピック競技ではないが、バレエ(舞踊)がある。その動きの特徴は『天をめざす』運動である。
 つま先立ち、天を突くように飛び、羽ばたくように舞うスポーツ。
 たくさんの西洋スポーツに『天をめざす特徴』が見られるのには意味がある。そう、わたしは考えている。そして、その意味は宗教的信条である。
「天をめざす性質」を、キリスト教と照らし合わせてみよう。キリスト教は天を志向している。天国は天にあり、真理は天にある。『父なる天』であり、『唯一神』を求める姿が見えてこないだろうか。

 西洋的スポーツの典型としてはバスケットボールやバレーボールなど各種の球技。陸上競技やスキーなどがあげられる。そこで選手は、より速く走り、より高く飛ぶことを求められている。そして、頂点(天)を極めることが重要な課題とされている。
 しかしながら、文化にも西洋型と東洋型があるように、スポーツにも西洋型だけでなく東洋型がある。

 東洋型スポーツの典型として、わたしたちが思い浮かべるべきは相撲であろうか。その動きの基本は『大地を踏みしめる』運動であり、地をつかみ、大地との一体化をめざして腰を落とす静的な構えである。
Futabayama
 東洋的スポーツのほとんどに、『静けさに満ちた世界』と『地をつかむ特徴』が見られる。こうした特徴は『母なる大地を志向し、やおよろずの神とともに生きた』東洋の宗教を考えると、より興味深いものがある。
 東洋的スポーツの際たるものとして、太極拳や少林寺拳法、合気道などの武術や、日本泳法や弓道などがあげられる。そこで求められているのは「地に根ざした姿勢」、「静けさに満ちた構え」である。
 柔道も、かつては東洋的なスポーツだったのだろう。しかし、世界的な広がりを見せるうち、地に根のはえたような構えは失われつつあるように見える。

 現在、オリンピックに参加するスポーツのほとんどが西洋型スポーツである。そして、そこに求められている運動や体さばきも西洋的なものだ。しかし、村山氏のカルチャーリズムから考えると、そんなあり方は転換の時期を迎えることになる。そして、21西紀には『地をとらえ、静かなる構えをもつスポーツ』が興隆することになる。
 そんな観点でフリースタイルスキーを見ると、今まで見えなかったことが見えてこないだろうか。
 なぜなら、西洋と東洋の融合を感じさせるスポーツが、どうもモーグルであるように信じられてくるからだ。なぜなら、モーグルほど相反するふたつの方向性を必要とするスポーツは他にないのだから。
 まず、執拗に地(雪)を捕らえる運動(ターン)をおこなうこと。そうしながら、二回のエアという天を突く動作を要求されること。そして、コブの吸収という猛烈に激しい運動を下半身でおこないながら、微動だにしない静けさに満ちた上半身が求められること、など。
 モーグルでは天と地の共存。静と動の融合が求められている。もしかしたなら、モーグルの興隆は、そうした西洋と東洋の融合を示すひとつのサインなのかもしれない。

 カルチャーリズムはともかくとして、わたしたちの地球が転換期にあることは確かである。西洋の推し進めてきた産業革命以来の近代文明は、すでに行き詰まっている。巨大消費が産んだ現代社会は、すでにオゾン層破壊による地球規模の危機と、人口増加による地球資源の枯渇に直面している。身近なゴミ問題やエネルギー問題の裏側で、わたしたちの地球は危篤状態に陥っている。
 そんな状況下、もしかしたら東洋的な自然観が救いとなるかもしれない。天をめざす上昇指向ではなく、地と一体となった共存への志向が意味をもってくるかもしれない。そして、もしかしたらフリースタイルスキーは、そんな力の一端をになっているのかもしれない。

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