My Favorite Ski Essays
Masahito's Essay
(メインタイトル)
バレエスキー 
(サブタイトル)Acro_InsideJump
スポーツの栄枯盛衰


 ひとつのスポーツが失われようとしている。
 フリースタイルスキーのアクロ種目である。21世紀の開幕となる2000年シーズン、アクロ種目はワールドカップから姿を消した。
 ここでは、その滅びつつあるアクロというスポーツについて考えてみたい。

 アクロを含むフリースタイルスキー全体に見られる特徴。それを簡単に表現するなら『三次元的スキー』と言えるだろう。それまで圧雪された斜面を滑るだけだった二次元的スキーに、縦方向への変化を加えたスポーツが、フリースタイルスキーだと考えられるからである。
 ふつうのスキーにいちばん近いのはモーグルだろう。ターンというスキー本来の快感を基盤にした楽しみがそこにある。しかし、ふつうのスキーにない演技力や構成力という新しい要素も、加味されている。
 エアリアルはノルディックジャンプに、空中演技という自己主張を付け加えたものと呼べる。なぜなら、飛ぶことの快感だけでなく、演技する喜びもそこに加えられているからである。
 そして、アクロ(バレエ)こそ、『演技』そのものを雪上に持ち込んだスポーツと言えるだろう。そこには舞踊に見られたり、フィギアスケートに見られるのと同じ表現力や感動という芸術性すら見られるからである。
 こう考えてみると、フリースタイルの特徴は二つある。一つは三次元的スキーであること。そして、もうひとつは「観客を必要とする」ということ。つまり、観客がいなくては成り立たないスポーツなのである。
 アルペン競技であれば、競技会をおこなうのに観客は必要ない。もちろん観客がいれば、選手たちはやり甲斐を感じるだろう。が、いなくとも競技会は開催できる。しかし、フリースタイルスキーにおいて、ジャッジという観客なしに競技会を開催することは不可能となる。あくまでも他人に見せ、そこで得点を競う。そんなフリースタイルスキーの原点に、バレエがある。だからこそバレエスキーには強烈な個性とカリスマ性を持ったスキーヤーが、次々と現れたのだろう。
Acro_PoleFlip_Full
 こうしたバレエはカルガリーオリンピックで公開種目として試行され、大成功を納めた。フリースタイルスキー三種目中、もっとも多い観客を集めた種目となった。しかしオリンピック委員会による「主観的ジャッジ種目を追加しない」という方針により、バレエ種目はカルガリー以後、いつまでも正式種目とならなかった。
 モーグルの正式種目化では「タイムを計測する」ということが大きくプラスに働いた。そして、エアリアルではすでに確立されている体操競技的評価が説得力を持ったと聞く。しかし、しばしば国際問題にも発展するフィギアスケートとの類似性を指摘されるバレエは、ついに正式種目化されることはなかった。
 モーグルやエアリアルがオリンピック種目化されていく過程で、バレエスキーヤーの数は減少していった。「どうせトレーニングするならオリンピック種目を」という力が、強く働いたのである。
 しかし、アクロが滅ぶのはそれだけが理由だろうか。なぜなら、より大きな他の理由が、わたしには感じられてならないからだ。

 まず第1に、アクロが必要とする練習量の多さである。アクロには無数の技があり、それらを修得するためには限りない反復練習が必要とされる。そして、楽しめるレベルに達するのに、とてつもない時間を必要とする。まさにそれは巨大な山脈であり、無限にも思える階段を、蟻となって一歩一歩登らねばならないスポーツである。
 こうした特徴はニューフリースタイルと呼ばれるフリーライドと、正反対のところにありはしないだろうか。誰にでも簡単にトライでき、すぐにでも快感を得られるフリーライド。それに対し、時間と努力を費やした者にだけその扉を開けるアクロ。やはり、時代はフリーライドに流れている。
 わたしは若い頃、練習時間のほとんどをバレエスキーに費やした。数々の壁に当たり、それを乗り越えるために悩み、苦しんだのもバレエだった。また自己表現ということで、ほんとうの「自分らしさ」を模索したのも、このスポーツだった。そうした関わりは苦しめば苦しむほど、そして悩めば悩むほど深まっていった。それは、このスポーツに心底関わったということであろう。
 わたしが人生で学んだ重要なことは、すべて失敗と苦しみからだった。そのため表層にある喜びを追うように見えるスポーツは底が浅くなるのではないか、と老婆心を持ってしまう。霊長類研究家として名高い河合雅雄氏は「関係性こそ愛」だと言われているが、そんな関係性は深いつき合いなくして生まれない。
 一昨年、アクロに復帰した時、わたしはこのスポーツに対する愛を再確認した。競技会場に立った時、何よりもそれを実感した。そのためか現在心のどこかに、愛する者の死に対面しているかのような感覚すら持っている。最後まで選手として、その死を見つめること。それがわたしに残された弔いであろう。

B_Spin
この文章はスキーグラフィックに2000年シーズン掲載されたエッセイを書き直したものです。
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