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NewZealand にてセブンのエッセイ
「油な人」
F-style を支えてくれる仲間の一人に、
セブンがいます。
セブンは素晴らしいフリーライダーであるのみならず、
DJやMCが本職という異色キャラクターです。
もちろんF-style のメインイベントは彼がMC&DJを努めています。
これは、そんなセブンのニュージーランド紀行文です。
わたし自身とても興味深く読んだため、本人の了承を得て、
ここに載せさせていただきました。
以下、セブンの文章です。
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この夏ニュージーランド行きを決意した。
目的の一つは、5年ぶりに海外のゲレンデで、
しかも暑い日本を飛びだし、季節が逆の南半球で思う存分スキーをするためだった。
スキーをするといっても、二日三日の話ならともかく
一ヶ月半をまるまるスキーに費やすとなると、
いかにして様々な費用を安く上げられるかが大きな問題となる。
滞在費、食費、リフト券代、交通費・・・一日一日がバカにならない。
収入の無い、支出だけの生活である。

そこで今回、毎シーズン雪山の大会やイベントでお世話になりお世話もしている
モーグルスクールの面々と共に行動させてもらった。
ワナカをベースタウンとし、シーズン中そこに一軒家を借りあげ、
「夏の海外キャンプ」と題して日本からお客さんを招き、レッスンをする。
ホームゲレンデはトレブルコーン、通称「TC」。
インストラクターでない僕は、
コース管理やスキー場までの車を運転する「お手伝いスタッフ」として
仲間に入れてもらった。
そのエクスチェンジとして、生活費を格安にしてもらうという条件だった。
実際に考えられる手段の中で、最も安く、且つ快適な生活を送ることができた。

正確には、僕はこのスクールのスタッフではないのだが、実際はほぼその一員に近い存在、
言わば「運命共同体」である。
なので主要な面子とはその度合いはあるものの、それぞれと仲もいいし、
ことイベントに関しては、歯に絹着せず厳しい意見をズケズケと言い放つ。
自分としてはただ腹を割って話しているつもりなのだが、時に厳し過ぎることもあるようだ。
僕も彼等も、まだまだ成長の過程にある。
ただしそんなことを根に持ったり、失敗にへこんで潰れてしまうような連中ではもちろんない。
何しろ個性の塊が寄り集まって組織が成り立っているのだから。
内面のボロにはあえて触れないが(まだまだ成長過程なので・・・)、
世間的には組織として、スクールを運営する一会社として業界では一部注目もされている。
スノービジネスが下降線をたどり、どこも経営に四苦八苦しているという状況の中、
自分達の好きなスキーで飯を食う事を志し、
それが何とか実現しつつある彼らの情熱と言うか勢いはすばらしい。
さすが個性派集団、ザ・フリースタイラーズである。
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ここにはいろいろな人間がいる。
脱サラした者あれば学生上がりでこの道にのめりこんだ者まで、
様々な経歴と能力、そして可能性が混在している。
そう言えば、ある意味で最強なのかもしれない。
共通しているのは「モーグルが好き」ということ。
その元に、それぞれのカラーを持ったフリースタイラーが集っている。

中には、正に「自分の色」を持っている人間もいる。
ウェアにしろ何にしろ、着るものは絶対に「赤」でないと気が済まないのだ。
「戦隊ものでもアニメでも、真ん中に居る奴や強くてカッコいい奴は大概『赤』でしょ?」
と言うことらしい。
これに対抗して「青」な奴もちゃんといるのだから期待を裏切らない。

これだけパーソナリティ―とパワーをもった人間が集まっているので、
個々のベクトルが一斉に同じ方向を向いた時というのは無敵である。
しかし時には、最終的に思い描いている着地点が同じでも、
その過程でベクトルが小さく異なりぶつかり合うこともしばしばある。
個性派揃いなのだから、それも当然だろう。
ベクトルがスカラーと違うのは、「大きさ」だけでなく「方向」を持っているということだ。
彼等には皆、それぞれにビジョンがある。
そういった様子を、「本来はスタッフではないが、実質的にはその一員と」いう、
なかなか良いポジションで僕は眺めている。
戦況はよく見えるが石は飛んでこない。
実際に渦の中心には居ないのだから、分かった風な口をきく資格もないが。

これでも工学部卒で元エンジニアの僕が、自分なりに例えると、
彼等は間違い無く、重要且つ良質なギアでありメインシャフト達である。
更に一人でいくつもの役割を担っている。
これによって「モーグルスクール」というエンジンが回転している。
そして、まだまだ排気量は小さいものの、そのエンジンは確実にスノーシーンを動かしている。
「会社の歯車になんてなりたくない、だから我が道を行く」
という一面も持っているであろう彼等にすれば、
何だか皮肉めいた例え話かもしれない。
たまにテレビでもそんな話題が取り上げられたりすると、
「僕は会社の歯車でいいんです。でも歯車にも出来のいい歯車と悪い歯車がある。
自分は出来のいい歯車でありたい」
なんて声も聞こえてくる。
あぁ、なんて立派なんでしょう。
大きな会社であればあるほど、動かせる仕事も社会に対して及ぼす力も大きい。
その中で「いい歯車」である人は、正に会社の原動力となっているはずだ。
さぞ仕事の醍醐味というものを味わっていることだろう。
しかし世の中は「歯車な人」ばかりではない。
「油な人」、という存在を見過ごしてはいけない。
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「油な人」と言っても、体格が良くていつも額にトンコツスープをにじませている人とか、
要らぬ所で油ばかり売って仕事をしない人、のことではない。
「油」とは「潤滑油」のことだ。
潤滑油はエンジン内を駆け廻り、ギアとギア、シャフトと軸受の間を浸して、
それらが滑らかに回転できるように手助けをするという重要な役割を持っている。
どんなにすばらしいエンジンも、油無しには動かない。
それぞれのパーツの精度がいくら上がっても、この世に公差の無い部品は存在しない。
どんなに精密に削りこみ、磨き上げても、物には必ず若干の誤差が生じる。
設計者はそれぞれの部品を組み上げた時の集積公差を計算し、
最大でも最小でも問題なく駆動するように許容公差を決め図面に書きこむ。
軸受など重要な部位には、外見は全く同じに見えても
微妙に厚みの異なるパーツを数パターン用意し、
実際に組んだ時の隙間を測定してから適当なものを選択するという手段をとる。
そして、動的部品の間には必ず「クリアランス」が存在する。
適度なクリアランスが無いと潤滑油が入りこむことができず、スムーズな動作を促すことができない。
最悪、部品同士が干渉し損傷する恐れもある。
また、摩擦が大きくなりすぎて発熱し、焼き付きを起こしてしまうかもしれない。
潤滑油には、「冷却」という役割もあるのだ。
そうすると、様々な人間が集まって成り立っているこの世の中も結構似ているな、
と思えたりもする。
完全な人間など存在しない。
そして人と人の間には、その関係に見合った距離間が必要である。

いつからそんなことを考えるようになったのか?
僕は小、中学生の頃、「歯車な子供」だったように思う。
いつもクラス委員だの班長だのと任命され、学校行事ではクラスの中心的人物だった。
自分から立候補したわけではないし、好きでやっていたわけでもない。
一度そういう役に就いてしまうと、
「今度もあいつでいいや」
みたいなところが、みんな子供心にあったのだろう。
僕はその頃から、
「そんな責任のある立場から逃げ出したい」
という気持ちを、いつも心のどこかに持っていた。

工業高専に入ってからも続けたバレーボール部で、最後の年、僕は副キャプテンを任された。
キャプテンは僕の相棒が務めた。
実のところは、あまりの練習の厳しさに、
5年間部活を辞めずに続けたのは僕達二人だけだった。
こいつは背も高くて体格も良く、
中学時代は地域の選抜チームに選ばれるほどの実力の持ち主だった。
それに比べて身長も技術も及ばなかった僕は、
ここでまた一からバレーボールを始めたも同然であった。
それでも、自分達がチームを引っ張るようになった頃には、
なんとか同じ土俵で、同じ視線でゲームを見られた気がした。
自分達の役割も分かっていた。
二人で表と裏のエースを張り、相棒は「点をとるエース」、僕は「点をやらないエース」だった。
相棒が先頭に立ってメンバーの手綱を引き、僕が後ろからみんなのケツを叩いた。
キャプテンがいかにして理想のチームを創るか、
そのキャプテンをも含めてチーム全体をフォローをするのが副キャプテンの仕事だと感じた。
キャプテンが居ない時のただの代理ではない。
果たして相棒は、僕の働きに満足してくれていたのだろうか。

かつて入社したての頃、
新人実習で実際にバイクのエンジンをビス一本まで全バラにし、再組したことがあった。
要所以外は特に指導も無く、「おまえ達でやってみろ」と言った具合で、
パーツリストとサービスマニュアルを見ながら五人一組で一台に取りかかった。
さすが無類のバイク好きが集まってきているところだ。
みんな目の色を変えてエンジンに食いついた。
しかし僕は最初は手を出さず、一歩引いたところでその様子を見守っていた。
五人が一度に群がったところで、ただただ邪魔なだけである。
背後から状況を確認しながら、誰も手をつけない、手が廻らない仕事を探し、
必要なところへ手を貸した。
大まかに分解されたところで、僕はその一部分を受け持ち、更に細かくバラしていった。
この時の様子がそこでの担当上司、と言うよりはベテラン先輩のおっさんなのだが、
その先輩にはこう映ったらしい。
「君は少し積極性に欠ける。もっと自分から動いた方がいい。
ここでは声のでかい奴の意見が一番通るし、そういう奴が先に進んでいく」

「歯車な人」の働きはよく目に映る。
シリンダーが大きくなれば排気量が上がる。
シャフトが太くなれば強度が増す。
強度をそのままに軽量化できれば、ウェイトパワーレシオが下がる。
ギアの精度が上がれば回転負荷を抑えられる。
故に、これらは評価しやすい。
しかし「油な人」の働きは見えにくい。
それは補助的な役割を果たしているから、という理由だけではない。
その結果が自身ではなく、部品やエンジンそのものに現れるからだ。
そしてハイ・パフォーマンスなエンジンに応えるためには、
より高純度・高精度なエンジンオイルが必要であり、
その性能が問われるのである。

僕にとって「声のでかい奴の意見が一番通る」という言葉は、
自分を構成している重要な要素の一つになっていることに間違いはない。
だが、それが一番ではない。
当時の自分の行動が足りなかったとも思わない。
あの時、僕は「油な人」でありたかった。
そして今、僕は時にはこの「油な人」を自分自身が演じつつ、
(うまく演じられているかどうかは分からないが・・・)
自分の回りでその役割を買っている「油な人」さんを見つけては、
心の中でそっと応援している。
がんばれ!君が居てこそ、歯車は回り続ける。


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 角皆優人より

 セブンは少々、F-style を誉めすぎかもしれません。
 …でも、やっぱりちょっと嬉しいかな。
 こうした意見や感想に胸を張って答えられるよう、わたしたちも成長していきたいものです。
 どうか、これからも一緒に、よいイベントや人生創りに邁進しましょう。
 よろしくお願い致します。