ウォルト・ホイットマンの詩に「A Broadway Pageant」というものがある。
明治維新を目前にした幕末。咸臨丸に乗った武士たちが太平洋を渡航し、サンフランシスコに投錨。パナマ鉄道を使って米国東海岸に到達した。そんな日本人たちがニューヨークのブロードウエイを行進したという。
ホイットマンは日本人たちに喚起され、『ニューヨーク・タイムズ』に一編の詩を寄せた。それが「A Broadway Pageant」である。
この詩のなかで、ホイットマンは日本人から受けた感銘を、ふたつの語で表現している。
ひとつは「思慮深く礼儀正しい(Courteous)」という言葉。もうひとつは「超然として(impassive)」というもの。
驚くのは、当時封建制にあった日本人を見て、ホイットマンが「自由」の息吹を感じたこと。もちろん、彼が「見慣れない日本人の風体にありもしないことを感じた」ということもできるだろう。しかし、あれだけの詩人を突き動かした感動。それは「武士道精神」の高みがもたらしたものと考えることもできる。そして、わたしはそう信じたい。
終生、自由を歌い続けたホイットマン。その詩人を突き動かした感動は、サムライたちの鍛え上げられ、高みに登った精神ではなかっただろうか。サムライの心はそのどこかで、すでに「封建制を凌駕していた」のではないだろうか。
この直後からはじまる日本の激動が、それをわたしに信じさせてくれる。明治維新を支え、日本をして世界に飛び出させたエネルギー。それこそサムライたちの精神ではなかっただろうか。
単純に昔を懐古することは問題だが、かつて我々が何を持っていたかを考え直すことは重要であろう。
かつて、わたしたちの多くが「自分の命を超えた倫理観」を持っていた。
それが思想教育されたものだったり、権力者に利用されたりしたことも事実だが、命を超える価値観を持った人物が、数え切れないほど存在した社会…。それがかつての日本であったことは、まぎれもない事実である。
同じことが現在のイラクに言えるのかもしれない。
望むなら、命を超えた倫理観を、他者のために、より多くの人間のために使いたいものだ。
一部の権利や正義を守るためではなく、ほんとうに人類の未来につながるものに使いたいものだ。
イラク派兵により、必ず起こるであろう「憲法九条論争」。
そこに、日本の未来への大切な階段があるように感じているこの頃である。<フィールド 2> |