A Letter from an old Friend
 久しぶりにメールを書いたのは更新された角皆さんの「マハティール首相」の話を読んだからです。今回の角皆さんの文章は内容的にもタイミング的にも、私にとって非常に身近な話題でした。

 私の勤務先の高専は、マレーシア政府派遣の留学生を受け入れています。だからでしょうか、私は社会情勢には疎い方ですが、角皆さんの文を読む前から「ルックイースト」政策のことも、マレーシアが「日本を失敗例として見ている」ことも知っていました。
 そして茶髪問題。
 私は4年前からの2年間、学生主事補という高校の生徒指導部のごとき役職で、学生指導の最前線にいました。そのなかに、頭髪変色の指導も含まれていました。そしてまた、今年4月より同じ役職につくことになりました。
 高専に着任当初、わたしは校則などなくてよいと考えていました。なぜなら、自分の卒業した高校は校則がなくてもでたらめをやる学生などいなかったからです。
 しかし、だんだん考えが変わっていきました。
 約10年前、学生指導にあたる学生委員会の方針が放任主義に片寄った時、学校は荒れました。
 上下履きの区別はいい加減となり、暴力と器物損壊が年に何件も起こりました。この頃、初めてクラス担任となり、随分辛い思いをしました。
 学生達自身が、「悪い事は悪いとはっきりさせて欲しい」、「自分たちをむしろ縛って欲しい」と思っているようにすら感じたことがあります。そして、それをはっきり口に出して言う生徒もいました。教官が考える以上に、学生は強い父性原理を求めていたのです。

 5年前、学生委員となりましたが、その時はまだ、「頭髪変色」は自由にすべきと考えていました。
 学生委員会で「頭髪変色解禁」を積極的に発言しましたが、そのようなことを言う者は当時私一人でした。そして、自分の意に反する「頭髪変色指導」に自分もあたることになりました。「なぜ」と思うこともありました。しかし、クラスレベルや個人のレベルでなく、1000人という学生を相手に頭髪変色禁止の指導にあたると、色々見えて来ることがありました。

 予想どおりだったのは以下のようなことです。
◆学外から聞こえて来る声はやはり頭髪変色に否定的であること。
◆頭髪変色のどんな指導にも頑強に抵抗した学生も就職活動の頃には自分で直すこと。
 意外だったのは以下のようなことです。
◆禁止と決まっている事を放っておく教官は信用されなくなる傾向があること。
◆禁止と決まっている事を放っておかれた学生は、規範意識がどんどん低下する傾向があること。
◆軽い気持ちで髪を染める者は多くいますが、そうでなく「自分を変えたい」というサインを発しているかのように髪を染める者がいること。
◆注意して貰いたがっているように思える者がいること。

 そしていつしか私も、「現状では『頭髪変色解禁』はもっと先の話ことだ」と認識するようになったのです。
 この辺の考えは簡単には言葉であらわせそうにありません。
 頭髪変色者が多数いて指導に手を焼くクラスに、急遽応援を頼まれ学生相手に演説をぶったことがあります。内容は整理されたものではありませんでした。が、ただその時、不思議と学生には話が通じたように感じました。出だしだけは今でも良く覚えています。
「いつか頭髪変色など問題にならぬ時が来ればいい」
 角皆さんのエッセイにも似た表現が使われていたように思います。
 ありのままの自分をもっと大事にして欲しいという気持ち、本来自由であるべきはずのものが禁止におよぶという状況、それを禁止しなければならない側の苦しみ、それらに気付かぬような人間であって欲しくないということを話したように思います。

 頭髪変色など問題にならぬフリースタイルスキー。そんな世界に魅せられた若者達の中に身を置く角皆さんが、「日本人であり、茶髪や金髪の若者たちのまっただ中に身を置く者として、わたしはたくさんの相反する感情をも感ぜざるを得ない」と書くとき、それは頭髪変色を禁止してる学校に身を置く私にも、そのままあてはまる文章なのです。

 昨年3月、わたしの学校はマレーシア派遣留学生を留年させてしまいました。必然的に奨学金は打ち切られ、学生は退学し、国に帰りました。多分、日本の高専では初めてのケースだと思います。
 通常、留学生は3年生として編入学し5年生まで3年間勉強して卒業し、ある者は国に帰り、ある者は日本に残り、ある者は日本の大学に編入していきます。彼らの多くは非常に優秀な学生なのです。
 詳しい記述をするわけにはいきませんが、退学した留学生は茶髪・ピアスだけでなく、自国では手に入らなかった享楽的な生活に、どっぷりと浸かってしまっていたように見えました。
 その学生は日本を反面教師とすることなく、悪い日本をそのまま吸収してしまっていたかのようでした。

 数年前のある日、普段は素晴らしいクラスが、なぜか教室があまりに乱雑で、授業中の態度も悪いことがありました。
 そのクラスは留学生がいるクラスでしたので、次の様に注意しました。
「『日本に学べ』と考えている国が日本に優秀な留学生を送ってきている。しかし、この状況を知ったら、いったいどう考えるだろう」
 今になり、実際日本が反面教師と認識されてしまったのは残念な事です。

 今年度の学生主事補は留学生担当でもあり、4月当初にモンゴルとマレーシアの新しい留学生に学校の施設の説明と学生生活上の注意をしました。
 その注意にはマレーシアからの留学生に、頭髪変色を直すよう注意することも含まれていました。これからも、新しく来る留学生が、悪い日本を学ぶことがないよう願っています。

 今、日本の大学や高専は改革の波にゆれています。ともすれば学生について、学業成果以外のことは忘れ去られそうな状況にあります。しかし、日本の学生が他国の学生の模範となれるよう、…それも外部からの圧力でなく、内部から自分の判断として、素晴らしい生き方のできる人間として規範となれるよう…、一教師として心から願っています。
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