Injuries 怪我について
海賊になったわたし?
Pirate_one_eye
2004年9月14日
この原稿はF-style News 「角皆代表から一言」に加筆したものです。
 海賊になったわたし
 
 2004年の夏、久しぶりに大きな怪我をしました。
 怪我と言うより、事故に近いと言った方がいいでしょう。
 怪我をしたのは上の写真の右端にあるジャンプ台です。写真のランページは移動式のもので、アメリカ国内でエアショーをおこなうためのものです。わたしはそのメンバーとしてジャンプを長い間続けています。

 さて、怪我ですが、外れたスキーがはね返り、エッジで右手首を切りました。
 その瞬間、血が三メートル以上噴き出しました。
 直接止血だけでは止まらず、回りにいた友人が、ヒジと肩で止血してくれました。自分でも動脈を切ったことはわかりましたが、手術の際、神経も腱も切る重傷であることを知り、愕然としました。
 そのままアメリカで手術。すぐに日本に帰り、再入院。
 この文章も入院先で書いています。

 今回の事故で「手」と「ヒザ」の二個所を手術しました。
 術後、ヒザは可動範囲が20度程度回復し、現在135度程度(普通は160度)になりました。手術前がパッシブ(人に思い切り曲げられて)で120度程度でしたから、大進歩と言えます。現在はパッシブなら140度を超えます。ただし、手術による筋力の低下がひどいため、しっかりしたリハビリが必要ですが…。
 手は大手術でした。
「もしかしたら親指は動かないかも」と言われた親指も動くようになりました。ただし、正中神経を完全に切断し、加えて五指の腱も切断しているため、回復には最低半年を要するとのこと。現在、痛みと闘いながらリハビリを続けています。
 ヒザ(靱帯・半月板損傷)と目(眼球破裂)に続く、人生の三大傷害となりました。
 手術当初、右手は小指だけが動きました。数日で、薬指が動き、二週間くらいの間に、四本の指が動くようになりました。しかし、親指だけは動かず、触られてもまったくの無感覚が続きました。そして、三週間が近づいた時、わずか数ミリですが、はじめて親指が動きました。その時の感動と言ったら…。
 現在、まだジャンケンはできません。グーらしきものと、パーらしきものは出せますが、チョキはまだまだ夢の世界です。

 ここ数日、本格的なリハビリをはじめました。すると、右手と左手では、まったく異なった時間や世界があることに気づきました。
 左手の世界は今まで親しんできた世界。
 右手には驚くほどゆっくりと時間が流れています。たとえばグーを作ろうとします。左手なら一瞬で作れますが、右手は反応が遅く、グーに近い形を取るまで十秒ほどかかります。パーも同じです。
 リハビリルームにはわたしよりひどい手をした方たちが数名いらっしゃり、それぞれ、自分たちの時間で手を握ったり開いたりしています。
 競技なら早い方がよいのでしょう。が、ここでは進化が目標となります。
 しかし、リハビリを急ぎすぎると、神経が迷走し、鋭い痛みにかられます。わたしはまさにそうで、先生たちがいつも注意の視線を向けています。
『そう言えば、いつも急いできたような・・・・・・』
 これまでも怪我のたび、人生の転機を迎えたわたしですが、今回はどんな転機になるのでしょうか?

 ふと、次のようなことに思い当たりました。
 「もしわたしが数十年前に生まれていたなら?」
 化膿性関節炎にかかった右足は、きっと膝下を切り取ったに違いありません。
 眼球破裂した左目はこれも義眼でしょう。
 そして、右手も手首から切り取るしかなかったでしょう。
 すると、よく海賊映画に出てくる「黒い眼帯」をかけ、「棒の義足」と「かぎ爪の義手」をした悪役の姿が、頭に浮かんできました。しかも、そんな体ではスキーもできないので、きっと太っているに違いありません。
 そうなると、わたしの生きがいの大半は失われたでしょう。
 ピーターパンのように空を飛び続け、生き生きと生きているつもりが、気がついたらフック船長になっていたというところでしょうか。
 ・・・・・・でも、このフックはまだまだ飛びますよ。

Pirate_one_eye

 現代医学に感謝すると共に、けっこうな快復力を持って生んでくれた両親にも、感謝が絶えません。
 そして、応援してくれるみなさんにも…。
 ありがとうございます。
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