世界金融危機と士農工商
AsiaEuropeMeeting   これを書いている2008年の11月、世界的な金融危機が株価を乱高下させ、わたしたちの生活を圧迫し続けている。
 なかでも、ひどいのはアイスランドやハンガリーなど金融頼りの経済政策を推し進めた国々の状況である。

 アイスランド政府は、経営破綻した銀行に預けられた英国の預貯金を保証できないと発表した。それに対し、イギリス政府は反テロ法を持ち出し、英国内にあるアイスランド銀行の資産を凍結したという(朝日新聞より)。

 アイスランドやハンガリーなどの金融国家にくらべ、比較的ダメージが少ない立場にあるとされるのが日本である。
 日本は世界でも金融危機の影響を受けづらい国の一つと考えられ、それを証明するように世界中からお金が集まりつつある。円が高騰したため、上がった円で外貨を買い、差益を稼ごうという人々の姿が、ニュースのたびに流されている。
 また、株の大暴落と乱高下を利用して、株の売買で大きく利益をあげたり、逆に大損したりする人も現れている。

 金融危機のダメージが少ないとされる日本だが、それには理由があるのではないか、とわたしは考えている。
 それは、「士農工商」という実体経済を大事にする精神的伝統である。

 士農工商というかつて日本が持っていた身分制度では、「士」が頂点に立ち、倫理や正義を守る役割を担っていた。
 食を産み出す「農」は、武士という管理者のもとで、実体経済のトップに立っていた。
 「工」は家や各種必需品を産み出して「農」の次に立ち、商品を動かし手数料をとる「商」はもっとも低い位置に置かれていた。
 歴史をふり返るなら、「商」がしだいに力を持ち、「士」を影で動かすようなこともあったであろう。しかし、民衆の心には長い間「士農工商」という価値観が刻みつけられていた。

 そんな日本社会であるが、第二次世界大戦後は異なった方向への歩みを見せている。
 「農業」よりしだいに「工業」が選ばれるようになり、やがて「工業」より「商業」が選ばれるようになり、ついに「商業」より、「金融業」が選ばれるようになっていった。
 特にバブル崩壊以降、こうした方向性が顕著で、金融が人々の憧れの職業となった。
 バブル前は各種銀行が憧れの職業だった。そしてバブル後は、今回破綻したリーマンブラザーズなどの金融業が、人々の憧れの職場となった。

 戦後、日本はかつての士農工商とは反対方向に進んでいたが、世界はその遥か先を行っていた。より簡単に大きなお金を作ることのできる方向へ、突っ走っていた。そして日本人の心の根に残った士農工商の伝統は、日本をして世界ほど金融国家への傾倒を許さず、他の先進諸国より金融分野に遅れたのではないだろうか。NewYork_08
 現在、投機や金融で動く金額は、実体経済で動く金額の百倍を超えるという。そんな数字を知ると、金融にはなにか犯罪的な側面があると、わたしは感じてならない。士農工商の心が残っているわたしは、大がかりな詐欺のような顔を見てしまうのだ。

 かつて金貸しから銀行が生まれたように、巧妙にお金を増やしたり稼いだりする方法は、それを可能にする人たちによって作り出され、法律化されてきたように思われる。

 今こそ、投機マネーを抑制しようという「トービン税」のような考えが、真剣に討議され、実行に移されなくてはならない。

 かつての日本人は、心のどこか深いところで、真の「物の価値」を喝破していたのではないだろうか。
 何にどれくらいの価値があるのか?
 かつての日本人は、それをよく知っていたように信じられる。
 反対に現代人は物の価値を、実体とかけ離れたところに置いていないだろうか。
 マスコミから産み出される情報や雑多なコマーシャルで、マインドコントロールされた現代人は、実体の価値と異なった価値観に踊らされ、信じさせられ、実体と異なった金額を支払い、日々の生活を送っていないだろうか。

 加えて、わたしには次のような恐怖もある。
 それは、ほんものの「士」が生まれてこないように、計画的に愚民教育がおこなわれているように感じられることだ。
 そうでないというのなら、義務教育のなかで、金融やお金の仕組みを教えるべきだろう。

 恐ろしい現代的風潮はアメリカに顕著である。
 マスコミが、これでもかというほどに民衆の欲望を煽り、よりよい家や車、家財、服、装飾品などを所有することが、あたかも幸せの証明のように思い込ませてきたのだ。
 時間を惜しんで忙しく働き、より稼ぎ、より大きく消費し、より大きな欲望を満たすことが美徳と考えられてきた。
 わたしたちがマスコミに煽られて、消費すればするほど、誰が得をするのかと考えると、背筋が寒くなる。まさに戦争が起こると、誰が得をするのかと同じことだ。

 金融ではなく、実体経済が力を持つように、わたしたちは努力すべきだろう。
 マネーゲームで利益が出づらい社会の仕組みを産み出すべきである。そうすれば、実体に近いところほど多くのお金が回ってくるはずだ。

 かつて日本にあった士農工商の思想こそ、世界に必要とされている。
 そのためにも、ほんものの「士」の復活が待たれる時だ。Yumi

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