SVJATOSLAV RICHTER
 リヒテルはわたしの大好きなピアニストの一人です。
 ただし、リヒテルをそれほどよく知っているわけではありません。
 今になって、彼のコンサートにあまり行かなかったことを、とて も悔やんでいるピアニストなのです。
 しばらくの間まったく行ったことがないと思っていましたが、記憶を辿ってみると、少なくとも一度は行っていました。記憶が鮮明でないことがとても悔やまれるピアニストです。
 彼の演奏会の記憶があいまいなのは、それがデュオだったからかもしれません。加えて、当時のわたしはあまりにもケンプやルプーというピアニストに傾倒していたからかもしれません。
Richter-Sviatoslav-15 そんな記憶のなかで、もっとも強く印象に残っているのは、彼の豪放、豪快な響きです。
 まるでオーケストラのようだと感じました。
 実演の記憶はそこで消えるのですが、録音を聴くにつけ、いろいろなものを感じられます。豪放。豪快だけでない何かがあります。一本の芯がしっかりと通った音楽創りを感じられます。繊細さや優しさも感じられます。

 彼のシューマン“幻想曲"を、レコードで買い、テープで買い、CDでも買って聴き続けてきました。幻想曲の録音のなかで、もっともたくさん聴いた演奏です。

 ベートーヴェンのテンペストも、リヒテルの演奏が大好きです。
 シューマンやグリーグのピアノコンチェルトも、リヒテルがいちばん好きと云ってもいいでしょう。そして、わたしの大好きなラフマニノフの協奏曲第二番では、 リヒテルが圧倒的に素晴らしいと感じ続けてきました。リヒテルの二番に近づける演奏を、わたしはまだ知りません。

 リヒテルが西側に登場してセンセーショナルな話題を呼んだのは1960年のことですが、ラフマニノフのCDはその頃の録音で、まさにセンセーショナル で、魂を揺さぶる演奏です。

 不思議なのは、ケンプやバックハウスのように、リヒテルは「これぞ」という作曲家を持っていないことです。
 わたしは晩年のケンプが弾くシューマンやバッハが大好きです。
 同じように晩年のバックハウスが弾くモーツアルトが大好きです。
 しかし、晩年のリヒテルと云われても、わたしにはよく分からないのです。
 Richter_old
 ブーニンはこの巨匠に直接会う機会があったそうで、著書“カーテンコールのあとで"にその模様を書いています。それによると、リヒテルの演奏の素晴らしさは「生」で聴かなければ絶対に分からないそうです。
 リヒテルはレコードを残すことにあまり関心がありませんでしたが、それも、彼の生演奏の素晴らしさと無関係ではないと書いています。
 すると、リヒテルの生演奏を少ししか聴かなかったわたしは、やはりとても大きな宝物を失ったということになります。

 最後に、グレン・グールドがリヒテルについて語っている言葉を載せておきましょう。
 (ジョン・ロバーツ編『グールド発言集』みすず書房)

 「催眠術によるトランス状態としか例えようのない境地に私は連れ去られたのです。シューベルトの反復構造に対する私の偏見など吹っ飛んでいました。装飾的だと思っていた細部は有機的な音楽要素として現われました。…実際、そうした細部の多くを私は今でもありありと覚えています。そこで私は思いました。調和しないはずの二つの特質が融合する現場に、私は立ち会っているのだ、と。力強い分析的態度が、即興さながらの自由奔放さをとおして現われるその現場に…。 そして、その後リヒテルの録音をいろいろと聴いて確信したことでもありますが、そのとき私は気づいたのです。私は、今日の音楽 界が生み出した最も力強いコミュニケーターのひとりを目の前にしているのだと。


              …written by Masahito Tsunokai March 19th.2009…
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