Maurizio Pollini
マウリッツィオ・ポリーニというピアニスト

 これまで、わたしはたくさんのピアニストに夢中になってきました。
 最初に取り憑かれたのはやはりケンプでしょうか? それは10代で、まだ比較対象のない頃の話です。つまり、誰に比べるでもなく、ただケンプという存在に夢中になっていたと言えます。
 それから、リヒテルやゼルキンという巨匠に夢中になり、大学生時代ポリーニのレコードと出会いました。
 はじめてポリーニを聴いたときの驚きを、いまでもはっきりと覚えています。
 それはショパンのエチュードでした。レコードの帯に「これ以上、なにをお望みですか?」と書かれていた記憶があります。帯のうたい文句はあまりにも軽く、『なぜ、こんなことを書くのだろう?』と反発を感じた記憶もあります。
Pollini_Chopin_Etudes
 ところがレコードに針を落とし、音が響きはじめた瞬間、わたしの胸に浮かんだ言葉は、まさに「これ以上、何をお望みですか?」というものだったのです。全身に鳥肌が立ち、曲が進むにつれ、体が震えたことを覚えています。
 それはまさにひとつの素晴らしい音楽体験でした。
 その日、いったい何度そのレコードを聴いたでしょうか。翌日にはさっそく、友人のアパートを回り、ポリーニのレコードを借り集めました。
 聴くことのできたレコードはほとんどがショパンでした。そのどれもが輝き、磨かれて粒のそろった音。そして、生き生きとした命に満たされた音に感じられました。
「素晴らしいピアニストは誰?」と訊かれれば、必ずポリーニと答える日々が続きました。
 スポーツを専門とするわたしにとって、当時のポリーニの姿は完璧な演技をおこなうオリンピック選手のように感じられたものです。
 ところが突然、ポリーニを受け入れられなくなる出来事が起こりました。
 それは初めて彼のベートーヴェンを聴いたところからはじまります。わたしのもっとも好きなベートーヴェン後期を、ポリーニがどう弾くのか、それを考えただけでゾクゾクした期待を持って待ち続けていました。しかし、ポリーニのそれはあまりにも、あまりにも即物的に響いたのです。
 譜面から考えたなら、それは完璧と言える演奏なのかもしれません。しかし、当時わたしの求めていたベートーヴェンとはあまりにも遠く、あまりにもかけ離れていました。
 そこに深い孤独や哀しみは感じられず、単なる音だけが、美しいけれど空虚な音だけが並んでいるように感じられました。この録音は今聴いても、若い時ほど極端ではありませんが、同じように感じます。
 またポリーニに打ってつけではないかと期待した「ワルトシュタイン」の演奏にも肩すかしをくらいました。
 ベートーヴェン後期の演奏からポリーニに疑問を持ち始めたわたしは、大学を辞めるころ、ポリーニとエッシェンバッハ、ポリーニとルプーという非常に異なったピアニストを、何度もなんどもくらべて聴きました。

 そんな昔から25年以上という月日が流れる中で、わたしはポリーニの録音に興味を示し、聴き続けてきました。そして、そんな過程で、もっともよく聴き、好きな録音があります。それらは決して新しいものではなく、どちらかと言えば古いものです。また、そんなお気に入りのどれもが、カール・ベームと共演した協奏曲です。
 1枚のCDを選ぶなら、モーツアルトの23番とベートーヴェンの4番がカップリングされたものでしょうか。わたしは23番と4番を別々のCDで持っていますが、これらがカップリングされたものはまさに絶品です。
 両方とも素晴らしい曲で、たくさんの宝石のような録音があります。しかし、そのどちらもわたしにとってベストな演奏はこのポリーニとベームのものです。ベートーヴェンに関してはルービンシュタインとバレンボイムのものもかなりお気に入りですが…。 
 このポリーニというピアニストがどう老いていくのか?
 それはわたしにとって、とても興味深いものです。一時期、わたしのヒーローであり、次にアンチヒーローとなり、ようやくわたしの心の中で自然な位置を占めようとしているピアニスト、マウリッツィオ・ポリーニ。その登場から、心のどこかしらで、わたしが追い続けているピアニストの一人です。