Masahito's Musical Essay
This is a page for Mahler
厭世家にして野心家
Mahler
 マーラーの音楽に初めて接した時の驚きを、今でもよく覚えています。何度も繰り返される「生は暗く、死もまた暗し」というフレーズに、震えるような、しびれるような感情を覚えました。
 そんな16才の頃、マーラーの音楽は不思議な魅力と共に、恐ろしさや不思議さをも同時に感じさせてくれました。しかし、とても長い曲が多く、じっくりと最後まで聴き続けることはできませんでした。なぜなら、聴こうとするたび不安になったり、悲しくなったり、苦しくなったり、強い厭世観にとらわれたりしたからです。ところが、不思議なことに 「作曲家は誰が好きですか?」 と聞かれたら、当時は必ず 「マーラー」 と答えていたように記憶しています。一曲を通して聴けるのはせいぜい1番、5番くらいしかなかった30年前から、マーラーはわたしにとって特別な作曲家でした。

 大学生の頃だったでしょうか。マーラーの人気が急に高くなりました。レコードショップに行くと、今まで捜すことすら難しかったマーラーの棚に、たくさんのレコードが並ぶようになりました。この現象に、 「嬉しいような、悲しいような、恥ずかしいような」 気持ちになったことを覚えています。
 マーラーにはたくさんの好きな曲があります。
 いちばんに上げたい曲はやはり「大地の歌」でしょうか。それから交響曲第6番も好きな曲です。また9番、2番、3番、8番も、忘れがたい、わたしにとって大切な意味を持つ曲です。

 ほんとうにマーラーの曲を理解でき、共感できるようになったのは、40才をすぎてからです。
 しかし、近頃は次のように感じることもあります。
 『マーラーやベートーヴェン後期を理解できることは、幸せなことだろうか…』
 数々の哀しみや苦悩を経ずして、これらの音楽は理解できないでしょう。特に深い孤独と尋常ならざるプライド(誇り)を知らずして、これらの世界へ入っていくことはできないのではないでしょうか。
 十代のわたしはそうした感性の予感に、どこかで共鳴していたように思います。

 わたしの大事にしている演奏には、次に載せるようなものがあります。ただし、マーラーほど指揮者によって変わる音楽も少ないので、時により感動する演奏は異なってきます。
 推進力に富み、エネルギーのかたまりのようなショルティは、ふだんなら大好きな指揮者です。が、時に深い叙情に沈んだバルビローリが好ましく感じられることもあります。また端正なインバルと捉えがたいスビャトラーノフには大きな違いがあります。つまり、その時の自分の気持ちにより、好ましく感じる演奏が変わるのです。

 2003年になり、はじめてギルバート・キャプランを聴く機会を持ちました。
 ロンドン交響楽団の旧盤とウィーンフィルの新盤。もちろん交響曲第2番です。
 久しぶりに、体が震えるような感動を受けました。キャプランという人間について、もっと知りたい感情に捉えられ、彼の作った本 『 The Mahler Album 』 を買ってしまったほど…。それはマーラーの写真集で、その本ほど採算を度外視して作られた写真集も珍しいでしょう。

 マーラーほど、さまざまな解釈が可能な音楽も珍しいのではないでしょうか?
 きっとわたしのマーラー像も、これから年を重ねるごと、変わっていくでしょう。そして、それはわたし自身の変化をも知らせてくれるので、とても楽しみです。

line

大地の歌
 ワルター指揮 ニューヨークフィル

 フェリアー盤も好きですが、録音状態がよく、刷り込まれるほど聴いたこちらを上げておきます。

交響曲第2番『復活』

 ◆ギルバート・キャプラン指揮 ウィーンフィルハーモニー
 ◆ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ響

交響曲第3番
 ◆クラウディオ・アバード指揮 ウィーンフィルハーモニー

交響曲第6番
 ◆クラウス・テンシュタット指揮
 ◆ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ響

交響曲第9番
 ◆バーンスタイン指揮、ベルリンフィル(1979年録音)
 ◆ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィル(ライヴ盤)
 ◆バルビローリ指揮 ベルリンフィル

line
Alma『マーラーを語る会』についてはこの文章からリンクしています。
ベートーヴェンのページにも、マーラーに関する記述がたくさんあります。
Music  音楽のトップページへ
Home  ホームへ戻る