やっぱり、カラヤン


 わたしには長い間、一つの夢がありました。
 それは親友の三澤洋史君と一緒に、公開の場で「クラシック音楽について、心おきなく語ること」です。

 三澤洋史君は、現在世界的音楽家としてヨーロッパと日本を中心に活躍しています。
 国立音大からベルリン芸術大学へ進み、指揮科を主席で卒業。さまざまな音楽シーンで活躍し、たくさんの賞を受け続けています。

 そんな経歴から音楽のサラブレッドかと思いきや、じつは高校時代に初めて音楽家をめざしたという変わり種なのです。わたしが大学から始めたスキーで世界をめざしたことの裏側には、そんな彼の存在があったのかもしれません。

 彼とは高校一年生で知り合いました。
 入学して、席決めをすると隣の机になったのです。
 よく彼の家とわたしの家を行き来し、一緒にレコードを聴いたり、読書をしたり、散歩をしたりしました。
 彼は合唱部で、わたしは水泳部でしたが、そんな彼に連れられて、合唱部の臨時部員になったこともあります。
 彼が編曲したバッハの曲にわたしが詩を付けたり、わたしの書いた童話に彼が音楽を付けたりもしました。

 わたしがスポーツの世界に進んだのは、彼が音楽の道に進んだからと言っても間違いではありません。「彼が音楽に行くなら、わたしはスポーツをやろう」と素直に感じたのです。彼が勉学の道に進んでいたなら、もしかしたら、わたしが音楽家を選んでいたかもしれません。

 高校時代から、さまざまなレコードを貸し借りしては、意見を交換してきました。
 自分たちで買えないレコードは、『あすなろ』という喫茶店の名曲鑑賞室に行き、一緒に聴いて意見を交換したものです。『あすなろ』の名曲鑑賞室には、いつも群馬交響楽団の奏者たちがいましたから、発言には慎重になりました。
 わたしの家で、彼のピアノ演奏会をおこなったり、レコード鑑賞会をおこなったりしたこともあります。

 歩んできた道は違いますが、人生を通して、わたしたちはずっとクラシック音楽を聴き続けてきました。
 音楽の嗜好について異なることも多いのですが、心の深いところで、相手のことを理解しているようにも感じています。

 高校時代、わたしは大のアンチ・カラヤンでした。まだアンチ・カラヤンが少ない時でしたから、異端児でした。それから時が回り、わたしがカラヤン好きになった頃、短い期間でしたが、彼がアンチ・カラヤンになったこともあります。
 しかし、わたしが知る三澤洋史君は、カラヤンに近いところに居続けました。彼のリズム感や音楽美学は、常にカラヤンに近いところにあったと信じられるのです。持って生まれた心のありようが、カラヤンに近いと云えるかもしれません。

 だからこそ、いつかカラヤンについて公開の場で彼と語り明かしてみたい。
 そんな夢がありました。そんな夢が、この本で実現したのです。

 『クラシックジャーナル』の誌面で、80ページに渡る座談会が実現しました。
 カラヤンの晩年、カラヤンと同じベルリンに住んで、芸術大学に通いながら、カラヤンの演奏会に通った三澤洋史でなければ語り得ないことが、この本に詰まっています。自らもカラヤンコンクールに出場し、決勝まで進んだ彼だからこそ、語れる事実がたくさん詰まっています。それだけでも、この本にはかつてない価値があります。

 三澤君以外にも、京都に住むもう一人の親友が、『カラヤンとマーラー』というページを書いてくれました。
 土井さんは世界中でいちばんマーラーを聴いている人かもしれません。マーラーの音源だけで600種類も持っているのですから。
 そして、マーラーを真剣にも、BGMとしても聴くことのできる珍しい方です。

 そして、わたしたちと同じレコードを聴いて育ち、『カラヤンとLPレコード』という美しい本の著者となった板倉重雄さんも、参加してくださいました。

 『やっぱり、カラヤン』の中には、わたしも、かなり特異なエッセイを書いています。今までこうした内容のエッセイは、音楽雑誌に載ったことはないでしょう。これにより、編集長のところにはたくさんの批判が届くに違いありません。今から謝っておきますね。
 しかし、クラシックを語ることは、わたしの場合、心のもっとも深いところをさらけ出すことなのです。だから、思い切って、心情を吐露させて頂きました。
 批判も大歓迎ですので、みなさん、ぜひお読みください。

Favorite ホームへ