Wilhelm Backhaus
バックハウスというピアニスト
 わたしが最初に取り憑かれたピアニストはウィルヘルム・ケンプでした。
 それは1960年代後半で、70年代の半ばまで、わたしにとってピアニストとはケンプを指す時代が続きました。
 当時、日本のクラシック界でピアニストと言えば、ケンプかバックハウスという時代でした。
 優しく思索的なケンプ。厳つく力強いバックハウスというのが、わたしの持っていた彼らの印象です。

Backhaus
 たいして聴き比べることもなく、わたしはケンプにひかれ、ケンプのレコードを聴き続けました。
 この頃、わたしのまわりにはたくさんの熱狂的バックハウス・ファンがいました。ですから、彼らの薦めでずいぶんバックハウスのレコードも聴いているはずです。しかし、10代のわたしをふり返り、どこを捜しても、バックハウスに感動した記憶は見つかりません。
 はじめてバックハウスの演奏に感動したのは20代も半ばになってからです。それはモーツアルトのピアノソナタを納めたレコードで「モーツアルト・リサイタル」と題されていました。それまでモーツアルトと言えば交響曲とオペラしか知らず、聴こうともしなかったわたしですが、このレコードはわたしを大きく揺り動かすことになりました。
 それまで小さな音より大きな音のする音楽が好きで、より劇的な音楽に魅せられていたわたしですが、はじめて室内学的な音に魅力を感じたのです。そこに大向こうをうならせる身振りや、大上段に構えた緊張感はありません。しかし、そこには心の深い深いところまで、いとも自然に忍び込んでくる何かがありました。

 考えてみれば、ベートーヴェンを得意としていたバックハウスとケンプが、その晩年に反対の方向に歩んでいったことは象徴的なことです。
 ベートーヴェンからロマン派へ進み、シューマンやシューベルトに道を見出したケンプ。ベートーヴェンから古典へと回帰し、モーツアルトやバッハに道を見出したバックハウス。老いたふたりはそれぞれの道で、素晴らしい世界を創造していきました。
 ケンプのシューマン。そこにみなぎる憧れと夢。それこそ、ロマン派の原点のようにも感じられます。ノバーリスやアイヒェンドルフを生んだドイツロマン派の精神。それがケンプの音楽に満ちあふれているように感じられます。
 そして、バックハウスのモーツアルト。それこそ、古典の原点であり、同時にロマン派の魂の核でもあるかのように感じられます。それにしても、バックハウスのモーツアルトはなぜあれほど抑制されていながら、わたしの心を打つのでしょう。テンポを大きく動かすわけでも、情緒を訴えるわけでもなく、ただ淡々と音が流れていく。しかし、そこにはありとあらゆる情感が隠されています。そして、まさに偉大なる父のような意志を感じさせます。バックハウスのロンドイ短調を聴くたび、わたしはその感情の深さと枯れた哀しみの不思議さに感動を禁じ得ません。しかし、バックハウスはただ、単に弾いているだけなのです。

 2002年が近づきつつあるこのごろ、わたしはよくバックハウスを聴きます。そして、高校生時代に感じることのできなかったたくさんの情緒や感情に驚いています。またバックハウスの音楽を再発見することにより、わたしの愛するベートーヴェン後期の音楽にすら、新しい魅力を発見しつつあります。
 かつて、わたしには「バックハウスを好きになるようなことはないだろう」と感じていた時期がありました。それは30年ほども前のことですが、今のわたしにとってバックハウスはかけがえのないピアニストの一人へと変わりました。かつてのわたしはこの音楽が理解できなかったのです。そんな事実を知るとき、わたしの小さかった心が、ようやく少しだけでも成長してくれたのではないか。そんな風に思うこのごろです。
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