久しぶりにコンサートに行った。
これまでも、ずいぶんたくさんのクラシック音楽のコンサートに足を運んできた。
特に十代と二十代は月数回のペースで、コンサートに通ってきた。
そんな思い出をふり返ってみると、なかには音が出されたその瞬間から、
深くその世界に引き込まれた演奏家もいた。
ウイルヘルム・ケンプの暖かいピアノの音。
ラドゥ・ルプーの心を揺さぶるような繊細な音。
ゴールウエイの黄金のフルート。
今回のように最初の数音で心を閉ざした経験は初めてだった。
第一曲目はベートーヴェンの「スプリングソナタ」。
その数小節を聴くと、わたしの心は閉じてしまった。
素晴らしい音に、確実なテクニック。
文句を言うべきものは無いように思うのだが、これほど拒否反応の出た演奏も珍しい。
わたしは夏の怪我から、まだ手に強い痛みを抱えている。そのため、
よほどの魅力がないと、引き込まれる前に痛みを感じてしまう。
近頃、ミステリーを書いていることもあり、かなりの映画を見ているのだが、
正直な話、ほとんどの映画に感動しない日々が続いている。
わたしは手の怪我のために、快感よりも意味を求め、理由を求めているのかもしれない。
有名な「世界の中心で愛を叫ぶ」など、
ニコラス・スパークスの「Walk to Remember」や昔の「Love Story」とダブってしまい、
感動どころかヒヤヒヤしてしまった。
もちろんこれは映画の話で、本はとても文章が美しく、よい勉強をさせてもらった。
ここ数ヶ月で正直、わたしを感動させたものは数少ない。
もっとも引き込まれたのは「冬のソナタ」であろうか。
入り組んだストーリー展開とそこに込められた強烈な主張。
登場人物の一人はこんなセリフさえ口にするのだ。
「あいつはピアノを弾きながらハミングするんだ。
グレン・グールドでも気取っているんじゃないか?」
こうしたセリフを書く作家が、果たして日本にいるだろうか。
そして、ハリウッドにいるだろうか。…正直、わたしはうらやましかった。
同じ人物の部屋のタンスの上にはレコードジャケットが飾られているが、
それはいつも若きアルゲリッチのショパンである。
あれだけ強烈な主張をしながら、それを鬱陶しく感じさせないプロットが錬られている。
ぎりぎりかもしれないが…。
ここまでできたら、世間を動かすことができるという見本のような作品だと感じられた。
いつかはわたしも冬のソナタを超えてみたい。
そして、手が痛くても感動できる作品を書いてみたい。
最後に演奏会について加えると、ヤナーチェックのソナタには感じるものがあった。
彼女の演奏会には2種類のプログラムが用意されていて、松本市でおこなわれたのは
「A」だったが、現代曲を中心にした「B」を聴いてみたかった。
そう言えばオーレル・ニコレのコンサートでも、一番感動したのは武満徹だった。
彼女のヴァイオリンも、現代曲なら魂を感じられたのかもしれない。
そうすれば、心は開いたのかもしれない。 |