西友豚肉偽装事件

わびとさびについて
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 この豚肉偽装事件の展開は、現代日本をよく写していると感じました。
 事件の概要は以下のとおりです。

 北海道西友元町店(札幌市)が外国産の輸入肉を国産と虚偽表示。
 その対応策として同店は29日までに、返金対象商品の販売額に対し、その約3・5倍に当たる約4800万円を支払いました。しかし返金を求める人の数は増える一方で、元町店は30日を臨時休業にし、対策を検討。
 その30日に、約200人が返金を求めて殺到。警察官が立ち並ぶ中、社員と押し問答となり、店側の姿勢にいらだった若者が、警備員を殴るなど障害事件にまで発展。逮捕者を出す事件となりました。
 現場には「金を返せ」などの怒号が飛び交い、騒然とした状態に陥ったそうです。

 この事件を単純に「偽装したから返金は当然」と考えてよいものでしょうか。
 わたしは金額の問題ではないと考えています。しかし、あえて金額ベースで比較するなら現実に偽装された肉の合計金額は94万円。それに対して返金額は4800万円となり、その比率は1:51となります。
 もちろん、偽装は悪いことですし、許されることでもないでしょう。
 しかし、それに便乗し、「取れるものなら何でも取ってやろう」という一般の方々の意識。それを誰も問わない現状に、わたしは疑問を感じてならないのです。

 日本という国の危機が叫ばれ、たくさんの人が政治家を弾劾し、役人を糾弾しています。しかし、誰が一般大衆を非難し、その向上を求めているでしょうか。政治家はぜったいに大衆を敵に回すようなことはしませんし、言いません。そんな中で自分の利益のみを求めてのさばっている大衆。
 わたしは常々、「政治家は大衆の鏡」だと思っています。もし、政治家に悪辣な人間が見られるなら、それは選んだ人間の悪辣さを表しています。また、もし官庁が腐敗しているなら、それは日本の教育自体のゆがみを表しているのではないでしょうか。

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 よく日本の心を表す語として「わび」や「さび」という言葉が使われます。
 わびの真意は、鈴木大拙師によると次のようなものです。
「わびとは『貧困』、すなわち時流の社会の価値観に従わず、世間的な事物…富・力・名に頼っていないこと。その人の心中に時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること」
 さびとは「孤独」や「孤絶」を意味し、限りなく変わりゆく無情さの中に、価値を見出すこと。
 果たして、こうした日本的な心は、今どこにあるのでしょう。

 地球は狭くなり、その中での価値観は混合されつつあります。しかし、現状を見る限り、そこに施行される価値観は、あくまでも西洋と呼ばれる限られた地区に生まれた価値観です。たとえばイスラムのような異質な価値観は、確実に排除されつつあります。
 日本でもそうした西洋の価値観の横行が顕著に見られます。これは文明開化という名の下で、率先して取り入れられた価値観であり、また第二次大戦の敗戦がその普及に拍車をかけたものでもあります。
 しかし、西洋の価値観は万能でしょうか。
「西欧の価値観こそが行き詰まっている」
 それに最初に気づいているのは日本や後進国の人々ではなく、西欧の知識人かもしれません。
 ニューエイジという運動は、そんな西欧の人々からスタートしています。
 ふり返ってみるとわたし自身、日本の価値を発見したのはアメリカ人である大叔父からですし、再輸入された書籍からです。
 オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」や鈴木大拙による英文の書籍、カプラの「The Tao of Physics」など、英文で再認識した日本という国に、わたしは大きな影響を受けてきました。そして、アメリカの大叔父が白人の友人たちに、たいへん慕われ、好かれていたのにも、そうしたニューエイジ的な運動が影響していたと思えてなりません。

 9月30日、西友に詰め掛けた人には茶髪の若者が多かったそうです。
 この茶髪や金髪というのはファッションというベールの裏側に、「西欧人になりたい。日本人でいたくない」という気持ちが隠されているのではないでしょうか。
 世界中が西欧化していく波。その波に乗りたいという気持ちの表れかもしれません。
 しかし西欧化、つまり資本主義化にはたくさんの落とし穴があることを、いったいどれだけの若者が気づいているでしょう。
 年功序列から能力主義に変わって、どれだけの社会人が幸福になったでしょうか。
 年功序列から能力主義に変わって、どれだけの日本企業が世界的に成功したでしょうか。
 和合社会から競争社会になり、どれだけの日本人が追いつめられ、どれだけの環境が世界で破壊されてきたでしょうか。
 たくさんのアメリカ企業が、かつての日本企業のあり方に学び、彼らの制度を見直し、年功序列に近いシステムの導入をはじめています。そして、職場での和を大切にしはじめています。

 日本だけでなく、世界中が、今までにない新しい価値観を求めています。
 それは行き詰まった消費社会を乗り越えるための全世界的価値観です。
 そんな世界的要求に応える価値観こそ、もしかしたら「わび」と「さび」ではないでしょうか。

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 西友に駆けつけ、金を求めた人たち。彼らはかつての日本人から、どれだけ遠くにその心を置いているでしょうか。そして、安易に利益を求め、偽装を繰り返す企業。彼らは「わび」の心からどれだけ離れているでしょうか。
 わたしたちは「わび」「さび」を捨て去ったのでしょうか。それともまだ思い出すことができるのでしょうか。
 わたし自身、自分の心の奥底に、ひっそりとですが、まだ「わび」「さび」の鼓動があるのを感じることができます。しかしそれを育てるため、何を成したらよいのか。それがよくわからないのです。現代日本の茶道や華道に、それらは生きているのでしょうか。
 しばらくの間、わたしはこれをテーマにしてみようと思っています。自分の心の「わび」「さび」を育てること。その心をスキーを通して表すこと。
 深いテーマですが、やりがいがあります。
 これに取り組むに当たって、わたしには大きな力になることがあります。
 それはベートーヴェン後期の音楽に、わたしは「わび」と「さび」を強く、しかも深く、感じることができるという事実。西洋に生きたベートーヴェンが最後に行き着いた世界。それこそ、かつての日本の魂だったように感じられてならないのです。