My Special Vehicle, SKI
 スキーという乗り物
 二十歳をすぎて、わたしはスキーに出会った。その時以来、感じているスキーというスポーツへの驚きや想いを、ここに書いてみたい。

 スキーをはじめるまで、わたしは水泳選手だった。十歳から二十歳まで泳ぎ続けたわたしにとって、スポーツとは「苦痛に耐えること」と言ってもいいだろう。二十五メートルの四角いコンクリートの箱を、ただひたすら往復し、辛さに耐える。それがわたしにとってのスポーツだった。
Swimming
 ところが、スキーはそんなイメージを一掃してくれた。
 輝く雪、青い空、白い雲。色鮮やかなスキーウェア。人々の嬌声。スピード感にあふれ、躍動と喜びに満たされ、それは今まで抱いてきたスポーツというもののあり方を根底から揺り動かす体験となった。
 わたしは取り憑かれたように滑りはじめた。
 最初は圧雪車の運転手となり、日中ほとんどの時間を滑ってすごした。少しばかりテクニックが上達すると今度はスキーパトロールになった。やがて、インストラクターとなり、競技者となった。
 気がつくと、わたしはワールドカップや世界選手権に出場し、世界中のスキー場を滑っていた。
 スキーは山の上から下に移動するだけの乗り物である。ただそれだけのことが、なぜこうもわたしを捕らえたのだろう。それは単に明るく、楽しいスポーツだったからだろうか。そして、大自然の雄大さを少しばかり教えてくれたからだろうか。それとも、限り無い浮遊感に満たされた深雪が、神秘的な世界をかいま見せてくれたからだろうか。
 スキーは地球に引かれて動く乗り物である。母なる大地の引力に引かれ、そのふところに近づいていくための乗り物だ。もしかしたら、わたしたちはスキーを滑っている間、どこかで故郷に帰っていく気持ちを味わっているのかもしれない。急斜面をひたすら落下しながらも、どこかでふるさとに近づいていく気持ちを味わっているのかもしれない。
 そう考えると、わたしたちの命こそ、誰もが乗らなければならない乗り物であると思えてくる。そして、命という名の乗り物が滑るのは、時間という名の斜面である。命は時を越え、いつかほんとうの故郷へと、わたしたちを連れていってくれる。
 スキーの滑り方が多様であるように、命の乗り方も多様である。そこでは時折、善悪が覆ったり、常識がひっくり返ったりもする。そんな中でわたしが願うこと。それはあくまでも、ほんとうの自分に忠実であろうということ…、そんなことを想う近頃である。

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