筋力の時代から精神の時代へ

武士道はトップアスリートに復活する

 あなたはこんな場面を見たことはないだろうか。
 スタートを目前にしたアルペンスキー選手が、瞳を閉じ、何やら手のひらをくねくねと動かしているシーン。その表情は厳粛、かつ静寂に包まれ、あたりには緊張の糸が張りめぐらされている。
 フリースタイルスキー・エアリアル選手の場合はもっと極端に見えるかもしれない。スタート前の研ぎ澄まされた時間の中で、両腕を広げ、あたかも鳥になったかのように、スローモーションで繊細な動きを続ける。やはり、表情はいたって厳粛。真剣勝負に挑む武士たちを彷彿とさせる。
 スピードスケートの選手たちの場合はまるで禅僧のようだ。両腕を太股に置き瞳を閉じ、あたかも座禅しているかのように座っている。そんなシーンを、あなたは見たことがないだろうか。
 こうした場面は、すべてのチャンピオン競技で共通してみられる風景となった。なぜなら、二十一世紀を迎え、進化し、重要度を増すであろうトレーニング分野が、筋肉から精神(メンタルマネージメント)へと移ったであろうことが、確実だからである。
 二十世紀のスポーツシーンは筋力トレーニングに色づけられてきた。二十世紀の科学が筋肉の性質と構造を解き明かすにつれ、人間のパワー増強に的をしぼったトレーニング・システムが発達。たくさんの理論をふまえたトレーニング器機が、筋肉の発達を促進し、競技成績の爆発的向上をもたらした。
 こうした流れの頂点に立つアスリートとして一人をあげるなら、それはベン・ジョンソンであろう。
 スクワットで三百キロ以上、ベンチプレスで百八十キロ以上を上げる筋力。その骨格を考えたなら、絶対筋量をしのぎ、奇跡とも呼べるレベルまで、その肉体は達した。
 加えて、彼のドーピング問題は二十世紀が目指した肉体進化と深く関わっている。より強く、より速くをめざしたトレーニング哲学が、その帰結としてドーピングという方法を選択。精神より肉体の能力を求めるが故、精神を破壊する薬物すら開発され、使用された。これは現代社会のあり方とも無関係ではない。快適さ(より早く、より安く)を第一に追求した文明社会が、公害と環境破壊という危機に直面したように、記録だけにこだわるスポーツはドーピングという破壊行為に直面した。スポーツは社会の鏡であり、両者には同じことが写し出される。

 ウェイトトレーニングの理論と実践は二十世紀の終わりに向かって、あたかも限界に達したかのように頂点を築き上げた。ちょうど物質文明が限界に達したように、その理論と実践施設は全世界にいきわたり、誰もが筋力的限界までトレーニングされるようになった。そうしたピークを経た結果、さまざまな種目で、記録の横這いがめだってきた。
 そんな現状に、メンタルトレーニングを持ち込み、打破をねらった人々がいる。
 先駆けとなったのはカナダチームであろうか。筋力の限界に到達したベン・ジョンソンを、もう一歩先に進めるため、トロント大学に一つのチームが結成された。ジョンソン一人のための「メンタルトレーニング・チーム」である。もちろんカール・ルイスも先駆者のひとりとして有名だ。あまり知られていないが、日本のスピードスケートチームもそんなメンタルトレーニングの最先端を走り続けてきた。そして、数々の先駆的実験をおこなってきた。日本のスピードスケート・チームは、十年以上も前から専門の研究者を迎え、この分野に没頭してきた。
 たとえば、彼らの特徴をなすトレーニングのひとつに、器具を使っての「脳波コントロール」がある。
 スポーツ選手のパフォーマンスに、交感神経と副交感神経の働きが強く左右することは古くから知られているが、これを現実のデータと結びつけ、具体的な方法論にまで高めたのは、日本のスケートチームである。
 脳波の種類を自分でコントロールするトレーニング。このトレーニングは、イメージトレーニングをおこなうにはアルファ波が最適であり、疲労回復やリラックスにベータ波とデルタ波が有害であるとの研究結果からもたらされた。シュルツ博士の自立訓練法との類似点も多いが、選手の体感ではなく、計測器による具体的評価が指針とされるところに、彼らの特徴がある。こうして、瞑想のごときメンタルトレーニングが生まれた。
 アルペンスキーヤーの間にはまだここまでのメンタルトレーニングシステムは確立されていない。個人レベルで取り入れている選手もいるが、全体としての取り組みははじまったばかりである。
 スキー種目の中でメンタルトレーニングをリードしているのはやはりフリースタイルスキーであろうか。これはスポーツ自体が大きな危険性を持っていることと関係がある。意図するしないにかかわらず、イメージトレーニングやメンタルマネージメントの重要性を、個人レベルで痛感せざるを得ないスポーツなのである。そのため、チーム単位やスクール単位で、真剣に取り組んでいるところが多い。
Ryan_Mogul
 現在、オリンピックレベルの競技会では、筋力+αの力が要求される。つまり、筋力のみを大切にして勝つ時代から、筋力のみでは勝てない時代に入っている。もちろん、筋力に劣った選手に勝ち目はない。しかし、単純な力だけの世界から、意志力・決断力・表現力といった内面的能力全体が、これからのスポーツを支えている。そんな時代にチャンピオンスポーツは入ったのだ。
 こうした潮流は、もしかしたらかつての日本人が培った知識や知恵を再認識させてくれるかもしれない。なぜなら、世界のトップアスリートの中に、日本武道や武士道を手本にしてトレーニングをおこなうものが増えてきたからである。
 宮本武蔵はスウェーデンのモーグル選手から、現代の日本人が思う以上に尊敬されている。柔道の三船十段やグレーシー柔術の生みの親「前田英世(コンデ・コマ)」は南米格闘家から絶対の信頼を得ている。また、合気道の創始者「植芝盛平」はもはや武道を超えて尊敬を集めている。
 わたしたちが忘れ去ったかつての日本人たちを、今世界が再発見している。そんな、かつての日本人がもっていた優れた能力。それこそ、並外れたメンタル・マネージメント力以外の何ものでもない。極限状態で、自在に精神を操る能力。その神髄こそが、武士道と呼ばれていたものの正体ではないだろうか。
 スポーツは極限をきわめ、武士道に通じる。
 もしかすると、スポーツだけでなく、あらゆるものを極めるなら、それは武士道に通じるのかもしれない。
 日露戦争終結時、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは金子堅太郎から調停役を頼まれると、こう答えたという。
「貴国のことはよく知らないが、『武士道』はよく知っている。あの崇高なる精神文化をもった国ならば、およばずながら協力したい」
 わたしたち日本人こそ、今一度、自分たちの胸に「武士道」を呼び起こす必要があるのではないだろうか。