白馬に住んで初めて、家の庭に苔が生えました。夏にあまり太陽が出ず、雨ばかり降っていたからでしょう。
そんな冷夏だったため、美しい紅葉を期待してはいませんでした。ところが、十月も半ばになると、今まで見たこともないほど素晴らしい紅葉。それが山をおおっています。特に黄と赤が鮮やか。
わたしは別荘地に住んでいますが、木製の家々と美しい木々と山々が、見事に調和しています。
自宅はみすぼらしいものですが、そこに植えられたモミジは見事です。上の写真がそれで、居間から手を伸ばせば届くほどのところにあります。
下の写真はわたしがトレーニングするプールへの道にあるもの。傾いた太陽の光りに照らされ、真っ赤に輝いていました。そのあまりにも美しい姿に、思わず車を止めました。ちなみに三枚目の写真も、プールへの途中で撮ったものです。
よく人生は四季にたとえられます。
人生が八十年としたら、秋は四十代から五十代というところでしょうか。
今年の紅葉を見ながら、「これほど見事な人生の秋をすごしたいもの…」と感じざるをえません。
秋の紅葉と言えば、高校時代に大好きだった詩があります。
秋の日の
ギオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かえて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落ち葉かな
ヴェルレーヌの詩(上田敏 訳)ですが、うらぶれた身のうちにも、鋭く高貴な感性を感じさせます。もしかしたら社会的成功より、こうした感性の鋭さこそ、命を豊かで価値あるものにしてくれるのではないでしょうか?
紅葉の白馬連山とヴェルレーヌの詩。
彼らはあくまでも誇り高く、気高く、わたしに迫ってきます。
「真摯に生きなければならない…」と。
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