カナダの友人が新聞の切り抜きを送ってくれた。
そこに書かれていたのは「グレッグ・アサンス死亡」という記事だった。
亡くなったのは今年2006年8月9日。糖尿病による合併症で、51才。わたしと同じ年齢だった。

わたしがフリースタイルスキーをはじめたのは1977年。初めてグレッグの存在を知ったのは、たしか1979年だったと思う。
それは一本のビデオで、カナダでおこなわれたプロのフリースタイルスキー選手権の模様が映っていた。
まず心を打たれたのはグレッグの表現力豊かなバレエだった。
素晴らしい音楽とコリオグラフィ(振り付け)。高い難度と劇的な構成力。
ビデオに撮された彼の演技を、今でも思い出すことができるほどだ。
彼のモーグルはバレエ以上だった。すべてのターンがクイックターンに見えるほど、スピードレベルが高かった。
モーグルで世界タイトルを2回奪取し、ワールドカップで20回の優勝。1980年には念願の総合優勝を果たしている。加えて水上スキーでも、カナダタイトルを15回獲得。
母親は水泳競技で世界新記録を達成し、父親もカナダ水泳連盟の殿堂入りという、兄弟を含め家族すべてが世界的スポーツマン一家に育ったフリースタイルスキーのサラブレッドだった。
当時のフリースタイルスキー界にはモーグルとバレエに秀でた彼に並び、エアリアルに秀でたジョン・イーブスというスター選手がいた。二人とも風貌や雰囲気が、どこか神懸かったチャンピオンたちだった。
グレッグはギリシャ神話の青年神のようにハンサムで、小柄で筋肉質。その性格は意志が強く、きまじめで、辛口のユーモアを持っていた。いっぽうのジョンは長身で細身、性格は人なつこく、ユーモアと明るい笑顔にあふれていた。007映画のスキースタントのほとんどは、このジョン・イーブスによって演じられている。
まさにグレッグとジョンは、スポーツの神が、両極に対峙させたスーパースターである。
対照的な外観と性格を持つことで、お互いのスター性がより輝き、スポーツを盛り上げる力となった。
この二人がいなかったら、わたしはカナダに飛び出し、フリースタイルスキーに熱中したり、取り憑かれたりしなかったかもしれない。
そんな彼に、実際会ったのは数回だけだ。
一番覚えているのは、わたしがラバッツのエアショーをやっていたバンクーバー会場である。
チーム・マネージャーのアーニーに、彼がこう尋ねているのが聞こえた。
「あの東洋人は誰だい。見事なジャンプだ」
そして、アーニーがわたしを紹介し、彼と握手した。まさに手がつぶれるような握手だった。
FIS(国際スキー連盟)がフリースタイルスキーを管轄するようになると、グレッグは選手を引退した。それまでフリースタイルスキーに溢れていた自由な雰囲気が失われ、愛したスポーツがガチガチのオリンピックスポーツに変わっていくのをよしとしなかった。
やがて、プロカメラマンとして活動をはじめたと、友人から聞いた。上記3枚の写真はグレッグが撮ったものである。
やがて、彼がある女性と結婚したことを、人伝えに聞いた。相手の名前を聞いたとき、不思議な感じがした。なぜなら、わたしと親しかった女性だったからである。
グレッグはわたしより二つくらい年上だと思っていた。しかし今回のできごとで、同い年であることがわかった。
驚くと共に、残念でならない。
わたしにはこんな夢がある。
それは、かつて世界を沸かせたフリースタイルスキーの選手たちを集め、リジェンドたちの大会を開催すること。
グレッグ・アサンスやジョン・イーブス、ナノ・ポーチェやウエイン・ウオンなど、名選手たちを集め、盛大なパーティを開きたかった。昼間はスキーを楽しみ、夜は杯を傾けたかった。
特にグレッグ・アサンスとは…。いつかそうしたいと、ずっと願っていた。
グレッグが亡くなったことで、そんな夢の一部が消えてしまった。
たぶん、彼のことをもっとも考えた日本人の一人として…、ここに心からの追悼を捧げたい。
「安らかに…」 |