日本には「頑張った者が成功する」という常識があるように思う。
かつて血縁や学歴、伝手で決まっていた社会的立場。
それが昭和から平成にかけ、急激に崩れ、
現在は「頑張った者が評価され、成功する」という常識が定着しているように思う。
「頑張り」に関して、これほど平等な社会は世界にも珍しい。
先進国と呼ばれるヨーロッパにもアメリカにも存在しないのではないだろうか。
しかし、日本には大きく欠けている観念がある。
それは「正しいことをした人が成功する」という観念である。
ただ頑張るのではなく、正しく頑張ること。
もしくは頑張らないけれど、正しいことをおこなうこと。
正しいと信ずることを言い、
正しいと信じられることをおこなうこと。
こうした観念が、これからの社会には必要とされるのではないだろうか。
ヨーロッパ諸国や北米における正しさはずばりキリスト教的正しさであろう。
また、イスラム教国ではコーランの教えによる戒律である。
こうした宗教的正義は今の日本に存在していない。
資本主義による競争社会が自然破壊を招き、
オゾン層の破壊を招き、地球は危機に瀕している。
人は必要以上に競争し、その競争社会が地球を滅ぼそうとしている。
だからこそ、21世紀、わたしたちは正しいと信じられる人を
成功させる社会を生み出さなければならない。
利潤を第一にするのではなく、頑張りを価値とするのではなく、
あくまでも信念と倫理感に基づいた価値に従って生きる人間を生み出さねばならない。
また、その倫理観や正義感は多様性に満ちたものでなければならず、
異なった価値観を受け入れられる理解力と包容力を持っていなければならない。
つまり、一宗教の教えを盲信するのではなく、
地球規模の新しい価値観を生みだしていく必要があるのではないだろうか。
長い間、詰め込み教育を受け続け、自分の判断力や思考力の鈍った人たちには
難しい選択を迫られることになるはずだ。
しかし、それを確立しない限り、明るい未来は、
より遠く手の届かないものになるのではないだろうか。 |