Tsunokai Masahito's Belief
角皆優人の信念

 普通に満足する心

 高校時代、好きな作家の本を読んでいて、こんな言葉に出会った記憶がある。
「…もうエゴ、エゴ、エゴにうんざりなのよ。自分のエゴにも他人のエゴにも。なにかひとかどの地位に着こうとか、なにかすごいことをやろうとか、人々の注目を集めようとか、そんな人たちにうんざりなの。…もう、ほんとうにうんざりだわ…」

 I'm just sick of ego,ego,ego. My own and everybody else's. I'm sick of everybody that wants to get somewhere,
do something distinguished and all, be somebody interesting. It's disgusting - it is, it is. I do not care what anybody says.


 『フラニーとズーイ』(サリンジャー)の中で、フラニーが恋人に話す台詞である。
 フラニーは女子大生で、美人で、頭がよく、演劇部のスター。そんな彼女が『誰もが、何かになりたがり、競争する姿』に気分が悪くなるのである。そして、なぜ人は普通であることに満足できないのか、と悩みはじめる。
 この言葉はずっとわたしの心に残っている。そして、自分自身に問いかける言葉として、反芻され続けている。「なぜ、人はひとかどの者になりたい」と思うのだろうか。
 本を読んでいらい、この疑問はわたしにつきまとい、離れない。
 時が経ち、少しばかりの経験が加わると、しだいにそれは 『自分に自信がないから』 ではないかと、思うようになった。

 ほんとうに自分に満足し、自分を愛せる人だったなら、幸せになるために『ひとかどの人(someone)』になる必要などないだろう。自分に自信がなく、不安であるからこそ、他人という指標が、自分に価値を与えてくれる何かが欲しくなるのではないだろうか。
 わたしは自分に自信がなく、特に若い頃は自分が存在する価値すらないと感じていた。
 そのため、ただひたすら泳ぎ、水泳で県のチャンピオンとなった。
 当時、これはひとつの価値だと感じられ、少しは生きることを楽にしてくれるはずだった。しかし、本来の価値はあくまでも自分の内側にあるものだ。
 自分の内側にある価値を、自分自身が自然に感じるもの…。
 だから、県のチャンピオンになっても、後にフリースタイルスキーで全日本チャンピオンになっても、世界のトップ選手になっても、それはあくまでも肩書きにすぎず、一番という結果はほんとうの価値にはなり得ない。そんな事実を、痛いほど感じ続けてきた。

 近頃ようやく、わたしはこんなふうに思いはじめている。
 きっとわたしは魂のレベルが低いのだ。だから、それを高めるために、苦しみや悩みが必要なのだ。ほんとうにレベルの高い魂だったなら、単純で平凡な日々の繰り返しの中に、心からの満足を見つけられるに違いない…と。

 しかし、ここにも落とし穴がある。なぜなら、わたしはまだ 『比較』 しているのだから…。
 ほんとうに自分を愛せるのなら、魂のレベルなどという言葉を使い、他人と 『比較』 などしないだろう。
 あるがままを愛し、満足し、瞬間を大切に生きるに違いない。
 いつか、そうなれたら、どんなにいいことだろう。

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