競争原理を超えて

惜しみなく無限なる宇宙



 アトランタ・オリンピツクを見て印象深かったシーンのひとつに、女子マラソン有森裕子さんのインタビューがある。
「30qをすぎてのスパートは、金メダルを考えてのものですか?」
 こう聞くインタビュアーに彼女は答えた。
「いいえ、メダルのことは考えていませんでした。自分に悔いのない試合をしたかったし、全力を尽くしたかっただけです」
「バルセロナ以来、いろいろなことがありましたが、どうやってここまで来られたと思いますか?」
「マラソンは自分を表現できる唯一の手段でした。だから頑張ってこれたと思います。そして、アトランタのスタートに立てたことがほんとうにうれしく、感謝の気持ちでいっぱいでした」
Sky
 わたしはこんな彼女の言葉に感動を受けた。そして、マラソンというスポーヅが、有森さんにとって単なる競争レベルを離れ、異なった次元に入りはじめていることを感じられてならなかった。そして、彼女の言葉は、三十年以上も前の出来事を思い出させてくれた。

 小学校五年の夏、わたしは創立されたばかりの水泳部に入部した。そして、出場する試合のほとんどを一位で泳ぎ切り、その快感に酔っていた。それは単純に勝利する喜びだった。勝つことや、相手を打ち負かすことが嬉しかった。
 時々わたしが二位になるとき、一位を獲得するのはいつも同じ少年だった。赤い水泳パンツをはき、『赤フン』とあだなされた同級生である。ふだんから、わたしたちは一緒に練習し、遊び、明るい太陽の下を飛び回った。彼は親友だった。
 ある大きな試合が終わったとき…それは父兄が参観する試合だったが…、私は勝利の快感に酔い、有頂天になりながらプールサイドで浮かれていた。そして、なんの気なしにプール脇にあるモーター小屋の裏側へと駆け込んだ。すると、そこに『赤フン』がひとりで立っていたのである。うつむきかげんで。不思議な厳粛さが彼を包み、声をかけようとしたわたしは言葉を飲み込んだ。わたしより一回り大きかった彼が、小さく見えた。
 うつむいた彼の瞳から、足もとに生える緑色の雑草へ、涙が、まるでスローモーションのように落ちていた。日光に光った涙は、わたしの心を刺した。
 その日以来、水泳は違った顔を見せるようになった。
 もちろん、勝つ喜びはあった。が、それ以上にわたしは記録を大切にするようになった。人と競争すると人を傷つけてしまうのだ。

 やがて執拗なまでに記録にこだわるようになった。まわりのスイマーたちとは争わず、ただ自分の記録とのみ闘うようになった。より速く、よりたくさん泳げば、強くなれると信じていた。
 そんな高校一年の夏、わたしは過労で倒れた。
 苦痛に耐えさえすればよりよい記録が出ると信じ、回復が追いつかないほどトレーニングした結果だった。入院し、病院のベッドの上で長い時間をすごすことになった。
 心のどこかで水泳に賭けていたため、このとき受けた打撃は大きかった。いろいろなものが崩れ、心がバラバラになっていくのを感じていた。
 しばらくした後、退院すると、よく授業をさぼるようになった。学校の裏にある丘をさまよい、河原で長い間、水をながめていた。

 やがて時が回り、深かった傷はゆっくりと癒されていった。
 その頃、こんなふうに想った記憶がある。
『…他人と争うと他人を傷つけてしまう。そして、自分と争うと自分を傷つけてしまう』

 それまでわたしにとってまったく意味をなさなかったある文字が、大きな意味を持つようになった。それは『和』という文字だった。その文字は額に入れられ、知り合いが経営する柔道場に掛けられていた。初めて見たとき、格闘技の会場にかけられたその文字に、違和感すら覚えた記憶がある。そんな和の意味を、ようやく理解しえたように思えた。
Wa
 以来、わたしは『和』を求めて泳ぐようになった。そして、丸一年のブランクにもかかわらず、高校最後の夏を、県チャンピオンとして終えることができた。
 不思議なきっかけではじめることになったスキーでも、最初は『和』を求めて滑っていた。自分の心と身体の和や、コースや自然との和を求めて滑っていた。楽しさや爽快感が、和をもたらす接着剤だった。そのあいだ、奇跡は起こり続けた。はじめてから二年で全日本に優勝し、四年で世界が見えた。しかし、そこがピークとなった。
 世界の項点が見えたわたしは、気がつくとふたたび他人と争うようになっていた。加えて、自分自身とも争い、コースや自然とも争っていた。いらだった感情と乾燥した心。そんな闘争に支配されるようになっていた。
 それに気づくのに、大ケガと六ヵ月を越す入院が、必要だった。
 ある作家が次のように言っている。
『地球はすべての人の必要を満たすだけのものを与えてくれるが、欲望を満たすためのものは与えてくれない』−パウロ・コエーリョ(拙訳)−
 欲望と必要は違うものだ。
 わたしたちがある要求を持ったとき、それがどちらであるのかを決めるのは、わたしたちの心であろう。そして、忘れてならないのは、「『欲望より必要の方が小さい』などという決めごとは天にはない」ということ。もし、わたしが争いではなく、和を求めて滑り続けていたなら、奇跡はすぐそこに待っていたに違いない。今だからこそ、それが理解できる。
 モーグルやフリースタイルというスポーツはこうした選択を、しばしばスキーヤーに迫るものだ。
 単純な喜びを求めて行なうエアが、すぐに競い合いの場に変わったり、調和と喜びからスタートした仲間の輪が、醜いエゴの衝突の場に変わったり、そんな経験が、あなたにもないだろうか。しばしばそうした体験は、ケガや暴力という結末に向かってしまう。
 コエーリョが言うように、この宇宙はあなたがあなたの必要を求めて進む限り、無限で惜しみない援助を与えてくれる。そんな態度で望むスポーツや芸術は、驚くほど高い次元に到達する。わたしはそんなフリースタイルスキーを、世界の頂点に期待している。そして、わたし自身「そんな生き方ができれば…」と願っている。