気持ちのいいからだ
鳥山敏子さんに触発されて
Race

   人と競争するからだより、気持ちのいいからだを創る

 鳥山敏子さんの書かれた本を読んだ。というより、その本を通して鳥山さんという人間に出会ったと言ったほうがふさわしいかもしれない。
 その本のなかに、次のようなことが書かれていた。
「体育の時間、よくわたしたちは走らせる。マラソンのように何周といって持久力をつけたり、短距離のように速さを競ったり、それはうっかりやると子どもたちが自分のからだのすばらしさを見失う方向でなされることに気づかないでやってしまう」
 彼女は続ける。
「だから子どもたちには強調していうのだ。人と競争するからだよりも、まず自分にとって気持ちのいい動きとしての『走り』をみつけることを」

 怪我の多いフリースタイルスキーのナショナルチーム選手を見ていて、わたしも同じ事を感じた。
 鳥山さんは続ける。
「すると、不思議なことがおきる。子どもたちの走りは、ただ人間としての走りではなくなる。それは三十分走りつづけても決して『やめよう』といわない快い走りになる。走るのをやめて、大好きなボール運動もやろうとはいってこない。子どもたちのからだに何がおこっていたのか」
 わたしは何度もこうしたことを感じてきた。そして、こんな不思議な事実を何度も言葉にしようとした。
 普通の選手と偉大な選手のすきまにはさまっている違いは、まさにこれなのではないかと信じたこともある。今でもそう思っている。

 フリースタイルスキーやモーグルをはじめた人たちは、それが好きですきでたまらない人たちだ。そのため、のめり込み、取り憑かれたようにトレーニングして選手になる。そして、選手になったほとんどの人が次のように考える。
「思い切ってやってみよう。後悔しないためにも、思う存分打ち込むのだ!」
 こうして彼らはトレーニング時間を定め、スキーの雪上トレーニングやウェイトトレーニング、トランポリン、ウォータージャンプなどをこなしはじめる。自分に課題を与え、それを忠実にこなそうとする。しかし、彼らの多くが、心のどこかで『ほんとうはこんなことをしていていいのだろうか』という疑問を感じはじめる。
『ほんとうは仕事(もしくは勉強)をしていなければいけないのに、スキーをしていていいのだろうか』
 そんな負い目を感じはじめる。
 それは既成概念に植えつけられた感情とも考えられるが、自分で産みだした社会的通念のようにも感じられる。そして、そんな感情とまっこうから向かい合うことを避け、負い目をふりはらうかのように、明るく元気よくふるまい、重いバーベルを持ち上げ、苦しいランニングに耐えることで跳ね返そうとする選手が多く見られる。
 しかし、そうした日々が続くなかで、彼らの「気持ちのいい動きをめざすからだ」はしだいに失われ、やがて「苦しみや痛みに耐えるからだ」が作られていく。そして、彼らの滑りからは流麗さと喜びが失われ、かわりに固くこわばったからだと心が現れてくる。

 もしかしたなら、彼らがフリースタイルスキーに取りつかれた根底には、現代社会の生み出すさまざまな軋轢への反感があったのかもしれない。新しい感性や、既成の価値観と異なった魅力をこのスポーツに感じ、飛び込んできたのかもしれない。フリースタイルスキーの根源にはそうしたパラダイムシフトを起こす力が含まれているのだから。ところが、気がつくと彼らのからだは、いつしか彼らが捨て置いてきたはずの世界にとらわれてしまうのである。

 自由奔放でからだが踊るような世界へと飛び込んだはずなのに、彼らのからだは踊ることを忘れ、歌を忘れ、ときめきや深い呼吸を忘れてしまうのである。
 今まで、そんな選手を何人見てきたことだろう。
 急激に実力をつけ、オリンピックに手のとどきそうなところまできたにもかかわらず、気がつくと固いからだと殻のような心へと変わってしまう選手たち。そんな選手を育ててしまう自分を含めたコーチたち。

 ほんとうに競争と喜びは対立し合うものなのだろうか。
 競争し、人との比較のなかで生きる限り、ほんとうの喜びを生きることはできないのだろうか。そんな疑問を何度感じたことだろう。もしかしたら、「競争スポーツの世界」を何らかの形で支えていくこと自体、自分が望む未来を消す方向にあるのではないかと、悩んだこともある。
 しかし、鳥山さんの文章を読んでいくうちに、こうやって悩みながらも、その道を歩き続けることに価値があるのではないか、と思いはじめた。
 やはり最高のアスリートたちの動きには「最高に気持ちのいい動き」があり、「繊細で、優しいからだ」があるのではないか、とも感じはじめた。ふり返ってみれば、自分が引きつけられたチャンピオンたちの動きには必ず喜びが感じられたものだから。加えて、もし現在のスポーツがそうでなかったなら、そんな「気持ちのいい動き」を評価できないなら、それを評価できる価値観を、自分だけでも持ち続けたい。
 そんな壮大なことまで感じてしまった。



※参考文献 鳥山敏子著
  「からだが変わる授業が変わる」晩成書房
  「賢治の学校」サンマーク出版
  「いのちに触れる」太郎次郎社
  他多数

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