日本における規制概念の崩壊
 …カラス族出現…

 スキー場から、めっきり人が減った。スキーのメッカである白馬界隈ですら、最盛期の40パーセントを下るスキー場も多いという。スキー産業全体の落ち込みも、バブル時代には予想もできなかったほど深刻だ。しかし、ほんとうの深刻さはスキーなどレジャー産業の裏側に隠されている。それは社会崩壊とでも呼べる「日本の構造自体」の破綻である。
 戦後、世界を驚かせた日本の経済的成功。その根はこんなにも浅く、もろかったのだろうか。
 日本の限界と破綻を感じるにつけ、わたしはある朝のことを思い出す。ふり返ってみれば、あの日が日本崩壊の開始点となったように感じられてならないからだ。

Town

 一九九五年一月十七日午前五時四十六分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部に地震が発生した。阪神・淡路大震災である。 
 その朝、わたしは当時スクールを開校していた白馬47に、いつものように通勤した。しかし、駐車場に到着した瞬間から、いつもと違う異様な雰囲気に圧倒されたのを覚えている。レストランに入ると、数人の若い従業員が一角のテーブルを囲み、押し黙っていた。時折、長いすすり泣きがその静けさを破った。
 スキー場には阪神圏からのアルバイトが多いため、実家や友人の被災が伝えられた者、実家への連絡がとれない者たちがいた。悲しみが、あたりを覆っていた。
 一九八九年におこったサンフランシスコ地震の際、日本の有識者たちの多くが「日本ではこんな震災はおこらない。なぜなら、耐震への規制が厳しく対策が取られているから」と発言した。しかし、現実には五千人以上の死者を出す未曾有の災害となってしまった。加えて、対応のまずさによる人災要因も大きいと、後になって分析されている。
 この二ヶ月後(三月二十日)、サリン事件が勃発する。
 たくさんの一般市民を巻き込んだ地下鉄サリン事件は日本の常識を根底から覆した。そしてサリンの後、凶悪事件が堰を切ったように勃発。次々と起こった発砲事件。幼児虐待。意味不明の殺傷事件。平穏な日々を襲う予期できない惨事の群れ。これらにより、日本の持つ安全神話は完全に崩れ去った。
 平行して、バブル崩壊以後、いつまでたっても経済不況の出口は見えてこない。戦後日本の培ってきた高度成長の神語も、あっけなく崩れ去ったといえるだろう。
 一九九五年以後、こうした社会状況が悪化する傾向は止まらず、不安は増すばかりである。

 こうした世紀末的様相のなかで、スキー界にも大きな転換期が訪れているように思えてならない。
 たくさんの変化のなかでそのさまざまな気配を感じとることができるが、ひとつの信号はファッションであろう。
 バブル経済期に見られた派手で人目を引くファッションは、日に日に少なくなり、変わって台頭しているのはアースカラーのだらりとしたウエアである。かつてのボディコンシャスの流れを汲んだ「ぴったり」ウエアから、まるで対極にあるかのような「ゆるゆる」ウエアが見られるようになった。こうしたウエアはフリースタイルとスノーボードという限られた分野に多く見ることができる。
 かつて人気だったユニフォームは「ダサく」「かっこわるい」ものとなり、ブランド品や大きなロゴマークも「ダサく」「カッコわるい」と認知される。他人と同じ事を嫌い、個性的で、自分だけのスタイルをよしとする若者が急増している。
 そんな彼らはどこにでもよく座る。雪の上だけでなく、レストランや廊下の床にもよく座る。ウエアが汚れることはほとんど気にしない。汚れが目立たない色を着ていることも事実だが、ウエアを気にして活動を制限されることが、彼らには許せない。ある有名カメラマンが、彼らをして「カラス族」と坪んだが、それも決して的外れな表現ではない。
 かつての良識を持ったスキーヤーからすれば、彼らは行儀の悪い、おどろおどろしい異形の集団に見えるだろう。しかし反面、その姿はたくましく、素朴であるということもできる。
 天気のよい日なら必ず雪の上に座り、コンビニエンス・ストアで買い出したパンや弁当を食べる彼ら。彼らにとって小奇麗なレストランで食事をすることは、それほど魅力があることではないのだろう。彼らの価値観のなかではレストランの千円より、太陽の下での五百円のほうが、ずっと良いものであるに違いない。
 彼らの大部分が車中泊やテント泊をものともしない。夜も更けた雪の駐車場で円陣をくみ、雑談にふける彼らの姿が頻繁に見うけられる。
 彼らの行動を見ていると、数年前まで主流であったあでやかなスキーヤーたちとの違いに驚かされる。その最たるものは、内的世界に向けられた強い興味である。
 彼らがスキー場に求めるものは、金で買える外的なスタイルではなく、強烈な感情体験なのではないだろうか。
 かつてのスキーヤーたちが求めていたものはしゃれた生活体験だったり、恋愛体験だったように思う。なかには求道的に技術を求めたスキーヤーもいただろう。いっぽう、現代のカラス族は、外観や恋愛や技術ではなく、強烈な感情体験を求め、コブだらけの急斜面を滑り、そそり立つジャンプ台を飛んでいるように思えてならない。だからこそスノーボードであり、フリースタイルなのであろう。
NZ_Air
 戦後50年のなかで、わたしたち日本人が得てきたものはたくさんある。
 その代表が経済成長や所得倍増といったものだ。しかしその一方で、たくさんのものを犠牲にしてきたことも事実である。もしかしたら「感情体験」とは、そんな犠牲にされてきたもののひとつではないだろうか。また「内的世界」とは、そんな無視されてきたもののひとつではないだろうか。

 戦後生まれの日本人は資本主義という名のもとで教育されてきた。しかし、資本主義はいつの間にか拝金主義へとすり替えられ、やがて拝金主義は絶対的価値観を持つようになった。そして、「義」や「徳」と密接に関連する「情け」や「情感」「情操」の健康な育成を遠ざけてきたのではないだろうか。他人と競争し、それを比較して生まれる価値感だけを絶対のものとしてきたのではないだろうか。
 こうした意見に、「西洋はみんなそうではないか?」と問う人も多いだろう。確かに西欧社会は資本主義であり、資本(金権)の持つ力は圧倒的である。しかし、彼らの社会には宗教による強い規制が生きていることも事実である。西欧社会では宗教教育が倫理教育(道徳)を担当している。すなわち、そこには明確なルールが見えているのだ。かつて日本には武士道という姿で、そんな倫理観があったのかもしれない。しかし、そんな日本の価値は今、どこに生きているのだろうか。
 状況をいっそう複雑にする要素として、自由圏と共産圏が、日本を闘争の場にしてきた事実も無視できない。日本には旧ソビエトや北朝鮮から、思想闘争をおこなうために資金が流れ込み、教育者を中心に使われてきた。そのため、深いところで価値観の分裂が起こり、若者たちはゆさぶられ、不安定な場所に置かれてきた。
 五十年に渡って押さえつけられ、混乱にさらされ、時に無視されてきた感情の世界。それが今、地上に表れようとしているのではないだろうか。
 それは生き生きとした感情世界であると共に、混乱し無軌道な感情の暴発でもある。

 わたしたちには他人と比較して計ることのできる外的価値観が教育されている。しかし同時に、目に見ることのできない内的な価値観を持ち、それが比較を許さないものであることも事実である。そんな両者の価値観に惑わされ、振り回される若者たち。どうしたら、よりよい未来につながるのか、誰もが手探りで悩んでいる…それが現代日本の姿ではないだろうか。

 カラス族がスキー場に出現するようになって、十年になろうとしている。近頃はクジャクのような羽を付けたカラスや、鮮やかなオームのようなカラスも現れはじめた。
 より個性的であることや、人との違いに価値を見つけることは、今までの日本が見失ってきた部分だろう。加えて画一的な教育制度への反動でもあろう。校則を増やせば増やすほど、ルール違反は増えるものだから。
 かつて新生日本を生みだした背景に、札幌農学校のクラーク博士の功績を掲げる人も多い。そんなクラーク博士が定めた校則はただ一つ。
「ジェントルマンであれ!」
 また戦後、日本の成功を実現した「ソニー」の創業者である井深さんは、設立趣意書に一つだけを書いたという。
「自由闊達にしてゆかいな工場」
 日本には数々の規制がある。それは実際の法律によるものから、慣習、伝統というもの、村社会的人間関係によるものまで、さまざまな規制がある。そして、いかにも強い規制があるように感じさせる社会がある。
YellowFlower
 もし日本が自由競争の社会なら、みなが同じスタートラインに立てる健全な競争環境がなければならない。そして、健全な自由競争をおこなうことを土台にし、その先にゴールを見なければならない。
 自由競争を貫いた先にある人々の和合こそ、二十一世紀の宇宙船地球号に必要なことなのだから。しかし、そのためにも現在の日本には健全な競争環境を生む必要があるのではないだろうか。
 日本はまだスタートラインに立っていないのだ。
Home ホームへ