Lately what I am doing and thinking
 日本における「歴史の喪失」
2002年4月3日
     War Guilt Information Program

 近頃、たいへん恐いことに興味を持ちはじめました。
 第2次世界大戦後アメリカが、日本を占領していた時、日本に強いた思想統制の内容についてです。
  現代の日本人は、日本の民主主義がどのようにして創られ、組み込まれ、洗脳と云ってもいい状態に置かれたのか、知っているでしょうか。ほとんどの人が知らないのではないでしょうか。
 具体的内容を知れば知るほど恐ろしくなりました。

  わたしが勉強した範囲で言うと、戦後の民主主義教育はあきらかに、アメリカの望む方向を向いた洗脳教育であり、思想統制だったように思われます。アメリカは日本の極右的思想を押さえるため、共産党すら利用しました。右翼に対抗するため、故意に左翼を助けたりしたのです。
 そこでおこなわれた教育は、戦前の日本を否定することからはじまっています。敗戦以前の日本は「悪」であるという認識。つまり彼らのプログラムは、「日本の否定」からスタートしているのです。

 彼らが目指す教育を貫徹するため、アメリカは「War Guilt Information Program」を用意しました。これは周到に計画された日本人教育プログラムで、「いかにして日本人から愛国心を消し去るか」を意図したものです。
 日本人の心から愛国心を消し、強い贖罪意識を植え付けること。つまり、日本人が自国を誇ることなく、そのために命を投げ出すことなどないよう、周到に計画されたプログラムでした。そんな教育を受けた両親から育っているのが、今の日本を支えている世代となります。わたしはまさに「War Guilt Information Program」で育てられた一人です。

 先日、わたしは五竜のF-style インストラクターに、「日本への愛国心を持っているか」と尋ねてみました。持っていると答えたのは、十数人中二人。
 加えて、「自国が攻撃されたら戦うか」という問いに、「イエス」と答えたインストラクターは一人。

 今回のタイトルに使った「歴史の喪失」の著者、高橋史朗氏は湾岸戦争の最中、「もし日本がクウェートのように、外国から不当な侵略を受けたら、戦いますか?」と、約三百名の大学生に問うたそうです。すると、「戦う」と答えたのはわずか一人。後の学生は「戦わないで、日本中を逃げ回る」と答えたそうです。
 わたし自身も若い頃、「なぜ日本などに生まれたのか。なぜアメリカやカナダに生まれてこなかったのだろうか」と悩んだ経験があります。つまりわたし自身、アメリカの教育方針を、見事に体現してきた見本なのです。

 自分から自然に出てきた感情や考えだと思っても、実は深いところで他人や他国にコントロールされていることもあるのです。そんな恐ろしいことが、たくさんあるように信じられます。この世界には…。
 たとえば、9.11の多発テロ事件は、ほんとうにわたしたちが考えるようなものなのでしょうか。

 フリースタイルスキーやフリーライドの裏側にも、そうした策略がないとは言えません。たとえばフリーライドの勃興には、FISの力を奪おうとするグループや組織の影が見え隠れしています。加えて、個人的恨みつらみの感情が隠されています。

 歴史を知れば知るほど、想像を超えた事実が見えてきます。「自分で生きている」と感じても、実は誰かに利用されていたり、操られていることが、歴史上なんども繰り返されていますから。
 わたしたち日本人は、もしかしたら第2次世界大戦(大東亜戦争)のアメリカ占領政策を、ボディブローのように食らい続け、今まさに崩れようとしているのかもしれません。もしかしたら、精神は崩れてしまっているのかもしれません。

  

 近頃わたしの周りで、韓国の若者たちと交流が深まっています。
 彼らの健康で強靱な愛国心に触れていると、「もう日本は韓国に勝てないのではないだろうか」と感じることも多々あります。

 日本という国家の精神的崩壊から立ち上がり、ほんとうの再生を果たすためには、自分と自国を見つめる澄んだ瞳が必要になります。自分と自国のほんとうの過去を知り、それを受け入れ、それでも自分や自国を愛し、未来を見つめる心が必要になります。

  日本ほど平和が普通に思われている国は世界にありません。
 「水と平和はただ」の国。それが日本です。
 もしかしたら、逆説的な言い方ですが、21世紀のグローバル・スタンダードとして必要な感覚かもしれません。なぜなら世界中の人々が、日本人のような平和観を持ったのなら、それこそ素晴らしい世界が実現できるでしょうから。

 しかし、そこまで到達するためには現実を見つめる厳しい瞳が必要です。世界には憎しみと恨みが渦巻いています。あたかも代々続き、激しさを増す敵討ちのような行為が横行しています。そうした暴力は「どちらかが絶対に悪い」とは言えない歴史的背景を背負っています。
 ほとんどの戦争や、思想や、宗教は、明確に善と悪に分けられません。
 大東亜戦争においても、日本が一方的な悪ではないように。

 今回のアメリカ多発テロ事件にしても、一方的にアメリカが善であり、イスラム原理主義者が悪であると考えるのは軽率な判断でしょう。
 世界は今こそ、新しいスタンダードを必要としています。
 それは強いて言えば、規定のないフリーライドの世界で、みんなが納得する多角的な価値観を構築していくがごとき、スタンダードです。
 近頃、わたしはフリースタイルスキーやフリーライドのあり方が、これからの日本や世界を暗示しているように感じてなりません。
 アメリカの占領政策からすでに57年。日本の陥っている危機的状況の原因を、もはやアメリカに求めるべきではありません。それらの原因はすべて日本という国家と、その国民の中にあると知るべきです。
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